バナナ(3)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「バナナ」(3)
ピーラーはうまく使えるようになったか(「皮むき」のことやで)。
ゴミを出したり回覧板を回したりもしいや。最初は近所の人とすれちがうのも気が重いやろけど、これも修行やと思ってな。姑息なことをしやがって思う嫁はんもいるかもしれんけど、「近所デビュー」しといたら、何かと役に立つで。
そうそう、前回は、「老人よ、尻を高く上げよ」とゆうことやった。
尻と太ももの境目がないのも、尻がないぐらい痩せているのも不健康や。
筋肉がぎゅうぎゅう詰まっていそうな尻は、心身とも健康な証拠や(「まず男の人のお尻を見ます」ゆう娘はんがいるのもそうゆうことやな)。
スポーツマンは、顔を似たくないけど、カールルイス(古いか)のような尻になろうと日夜がんばっているわけや(せやけど、日本人は、黒人とは筋肉か何かがちがうようや。
人間の「出所=でしょう」はアフリカやとゆわれているけど、出稼ぎの場所でだいぶ変ったんやな。
人間は、もともと二重まぶたらしやけど、アジア人はほとんど一重になった。目の筋肉が衰えたからやて。アジア人は感情を出さへんからか。それやったら、整形するのは昔に戻るゆうことやな)。
カルーセル麻紀が、関西一、日本一のお墨付きを与えた、和泉修の尻も、漫才をしながら、プロボクサーになり、清水圭に捨てられても、漫才を続け、大学講師にもなった生き方の反映なんや。
ぼくらも、前向きに生きたら、尻も上向きになるとゆうことや。
最後に、もう一つある。車は便利やけど(今は、車さえ売れたら不況を脱出できるゆう雰囲気があるけど)、ストレスの元や。
たとえば、信号待ちをしているとき、横道から車が来て、同じ方向に入るろうとするときがあるやろ?
ここは微妙や。その車が先に待っているときは、普通は先に入れてくれるけど、問題は後から来たときや。
本線の車の反応は三つある。
(1)横道の車が、入れてと合図すると、「わかった」とゆうビームを送る。
(2)見ないふりをする。もちろん入れてやらない。たまに、青になったとたん横道の車を見て、「入れ」と合図する場合もあるけど)。
(3)待っている間に、わしが先に行く権利がある。先に入ったらえらい目に合わすぞと、じわっと車を詰める。
横道の車も、本線の運転手をちらっと見て(女とか気の弱そうなおっさんやったら)、強引に来る場合と、「おまえになんかに入れてもらわんでもええも~ん」と待つ場合がある。神経戦やな。
時間がないので急ぐけど、本線の車を運転していても、そのときの気分で(1)や(2)があるやろけど、(3)のように車を詰めんとこうや。どうしても出したくなっても、ちがうこと考えて我慢しいや(何ゆわすねん。これぼくの娘も読んでいるんやで)。
ちょっと興奮しすぎたけど、一台ぐらい入れてもどっちゅうことあらへん。たとえハザードで合図しなくても感謝してくれているはずや(入れてもらって、すぐに本線から出る場合に、「せっかく入れてもらったのに、すぐ出ていってすんまへん」と謝るもんもいる。ぼくのことやけど)。
毎日のちょっとしたことが人生を決める。身内にも、いらいらする性分で血管が破裂したのがおるやろ?
「今日はええことしてやった」で、一日気分がええ(向こうは、何にも感じてないかもしれんけど)。
さあ、これで大丈夫や。バナナのようにニョキニョキ長生きしようやないか。
いざ生きめやも。