あるときは・・・
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「あるときは・・・」
「あるときは片目の運転手、パッ。またあるときは老巡査 、パッ。しかしてその実体は・・・」
片岡知恵蔵が演じる多羅尾伴内に熱狂したもんや(物真似でもようやっていたけど、大河内伝次郎といっしょで、本人を知らんもんが増えたから、もう受けんやろ。物真似芸人も年取るしな。昭和は遠くになりにけり、や)。
今考えれば、片目だけ黒い眼帯をしている運転手は目立つやろ。声もいっしょやしな。それにひきかえて、天地茂の明智小五郎は、若い女中になったりするけど、まるで別人や。そして、正体を現すときは(犯人を当てるとき、女中のままではまずいのでな)、顔に被っているもんを取るところが一部だけアップになる(声は変えても、背ぃはどうしたんやろ?)
それはともかく、2人は、情報収集のために扮装する。
そして、ぼくらは、いかにもと思うやつが犯人でなかったことに驚くのや(あんまり知らんけど、探偵小説では、探偵を犯人にしたらあかんねやろ。さんざん推理したあとで、「あなたたちは犯人ではない。なんとなれば、あの富豪を殺したのはわたしですから。わはは、わはは」ゆうて去っていったら、読者も去っていくもんな)。
最近、のりピーとゆわれるタレントが覚せい剤で捕まった。ぼくの思うところ、世間は、覚せい剤そのものより、扮装(心の)していたことにショックを受けているようや(「わしの嫁はんは有名人や」などとゆう主人に愛想を尽かして行方をくらましたんや。山の中で野ぐそしているんとちがうか。野ぐそは臭いでと同情していたけど)。
それが、今や、山梨でケータイの電波が出たのは、知りあいの電話番号を見たからやとか、体に残る証拠を消してから出てきたとか冷たいもんや(確かに、ヘビが出てきたゆうて、何百キロも逃げるもんはいないなあ)。
とにかく、イメージに合わす扮装は、芸能人の命やからしゃあないで(それが辛かったんやろ)。
名古屋駅周辺で、セーラー服を着たおっさんがいるゆうて有名やったけど(どこかの教師とかゆうていたな)、最近は、別のおっさんが、セーラー服を着て、ここで踊っていた、あそこで、焼ハイ飲んで電車を待っていたなどとゆう目撃情報が増えた。
コスプレもおんなじようなもんか(最近は、原宿なんかで、スカートをはく若い男がいるらしい)。
そうすると、扮装をする理由は、情報収集、扮装そのものが商売(イメージに合わすため)、漫画を含めて他のもんになるための三つに分けられそうや。
扮装とゆえば、「東電OL殺人事件」を思いだす。昼は大企業の幹部候補、夜は町の女になっていて殺された人やな。
殺されたのは、道玄坂にある円山町(そのころ、ぼくの会社の東京支社もあった。のりピーもそこやったな)。
その女の人には、会社でのストレスがあっとゆわれているけど、ぼくの分類では、どれやろ。それとも、四番目の理由か。誰でも、扮装願望はあるのやろか。
せやけど、ぼくは、セーラー服ではようでかへん(家では着とるんかてか)。
ネックレスもいやや(つけたりはずしたりするときのカッコーが恥ずかしい)。女子バレーの元の監督みたいに、ポロシャツの襟を立てるのもようせん(「なんや、あいつ」と思われそうや)。
のりピーも、変身してもらいたいもんや。まだ若いんやから。
ぼくも、扮装はでけんでも、変身するで。この前、生まれてはじめて、「孫何人いるん?」と聞かれたけど。