あたん(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「あたん」(2)
前回、関西人が東京で暮らすようになると、東北人と同じように、しゃべるがぎくしゃくすることをゆうた(ぼくも、「ど」と「ぞ」の区別がない地方の生まれで、東京ではなく、京都で学生時代を過ごしたけど、「雑煮」を「どうに」とゆうて顔から火が出るほど恥ずかしかったことがある)。
当時、唯一スターの(なま)の声が聞こえる「スター千一夜」に出ても、関西人は、「ちゃいます」なんてゆわんかったような気がする。
そして、40年ほど前、東京へ関西弁をもっていったのは桂三枝や(あの創作落語はなんもおもろないけど)。
もちろん、「夫婦善哉」なんかの映画や芝居はあったけど、当時東京で生の関西弁を聞くことはあんまりなかったんちがうか(芸能人も一般人も隠したからな)。
あの頃の週刊誌に、「全国的に人気が出てきた若手落語家」と、どこかの駅の柱にたたずむ三枝の写真が出ていた。
ものすごう深刻な顔をしていた。東京に呼ばれたけど、関西弁でやっていけるのか考えていたと思う(数年前東京の女にバクロされていたけど、時代は変わったんやな)。
そして、ヨシモトにつながった(野茂からイチローのようにか)。
年がいくと、子供のときの食べものに戻るゆうやろ。言葉もそうやともう。喜怒哀楽の感情は、子供のときにできあがる。そのときにしゃべっていた言葉を使うてあらわしたからや。年を取ると、それが一番ぴったりするのやろか。
世の中を(今は世界も見んとあかんけど)、「あたん」で見ていくのが分かりやすい。
長い前振りやったけど、「あたん」とは、関西弁で、「いやがらせ」、「腹いせ」の意味やけど、相手が憎いのではなく、むしろ相手が好きなのに、相手をしてくれへんから、へんなことするのや。
むごたらしい無差別殺人で、犯人が、「誰でもよかった」ゆうやろ、あれがそうなんや(役人を殺した犯人も、「愛犬の仇」としかゆえへん)。
自分のことを気ぃにかけてくれるもんがいてたら、「世間が」なんてゆわんでも、それですんだはずや。
北朝鮮も、「東京を血の海にしたろか」と威勢がええけど、日本に、「前のように援助してえなあ」と「あたん」しているだけや(北朝鮮を、こんなふうにしたのは、自民党の金丸信や社会党の田辺誠とゆわれている。拉致事件も隠蔽したようや)。
「漢検」の事件も、役人の天下りを断ったので、役人が「あたん」したのや(3,4人受けいれていたら、どこの団体もやっていることで、どっちゅうことなかった)。
毎日、三嶋亭のすき焼きや大市のすっぽん鍋を食べているような腹をしている会長が、「今回の事件を、漢字一文字であらわすと?」とゆわれていたけど、「(役人の)復讐の『讐』です」などと調子に乗ると、一生目をつけられるとこやった。
確かに「あたん」するもんは心が弱い。(北朝鮮のように)プライドが高いとか、(千葉県かどこかの無差別犯のように)「自分は神や」とゆう妄想も、自分の心を語っているのやろ。
ルーキー新一のように、乳首のところをつまんで、「いやん、いやん」ゆうもんは「あたん」はせえへん。白羽大介のように、親指と人差し指で尺取虫のようにくねくねしてすねるもんは要注意や。
ぼくも、おばあちゃんに育てられたけど、怒られると、あばあちゃの下駄やぞうりを隠した。
そやけど、「早う出し」ゆわれたら、すぐにもってきた。大好きなおばあちゃんをそれ以上困らすことでけんもん。
人間、愛情を受けいれてもらったらそれですむのや。援助や天下りは別やけど。