♪やめて♪
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「♪やめて」
♪愛してないならやめて♪とゆうわけで、今回は経験とゆこか。
次女が、合掌造りの集落で世界遺産になった白川村の青年に嫁ぐことになったが、この前、そこの義父(娘からゆうたら)と話をした。
今年は雪が少なくて、例年なら2メートル以上あるのに、今年は30センチぐらいしかないそうや。
義父は、白川村の村役場に勤務しているので、村の内情をよう知っているが、雪が少ないのは観光客にはええけど、困ったこともあるそうな(せやけど、「ライトアップ」には雪がいるやろ)。
全国の雪国では地元の建設会社が、道の雪かきを請けおうているけど、今年はどこも少ないようや。白川村でも2億円の予算を組んでいたけど、だいぶが余るようや。
建設会社は、不況の上、こんなことになって、「天は我を見放したか」と嘆いているかもしれん(日本中、世界中、「弱り目にたたり目」の経営者が多かろう)。
オイルショックのとき、「戦後いろいろあったけど、こんなひどい経験はじめてや」とゆう、ぼくらの親世代の経営者が多かったけど、あれから30年。そうゆう世代は、息子に経営を譲ったか、病院のベッドにいる。
ところで、「何事も経験や」とゆわれるし、「人生には無駄なことは一つもない」ともゆわれる。
その二つを考えわせると、「どんなに辛い、どんなに恥ずかしい経験でも、人生に役に立つ」とゆうことか?
それなら、いやな性格(自分から見ても、まわりから見ても)も無駄ちゃうんか?
4年前のJR福知山線事故のドキュメンタリーは今も涙を誘う。
散髪屋さん、居酒屋さん、大学生、元タカラジェンヌなどの本人、遺族、家族の苦しみは今も続いている。
ところで、そのとき一番被害が大きかった2両目に乗っていた青年がいる。あまり詳しくはゆわれへんけど、高校を退学処分になったけど、親が、「何でも買うたるから、高校だけは出とき」とゆわれたんどうか知らんけど、ある高校の通信に入った。せやけど、スクールリングには行かんとあかんから、当日2両目に乗った。
そのとき、乗客が多くて、ドア近くの地べたにすわった。こんなやついるやろ?「今の若いもんは何を考えているのや」、「親の顔を見たいわ」ちゅうやつが。
そして事故が起きた。真っ暗になる前に、人が自分の上をどんどん飛んでいったのを見た。
本人は、地べたにすわっていたから、打撲はしたけど、命は助かった。助かった人でも長いこと、そこにいたのはテレビでようやっていたけど、本人は、翌日ボーリングをしたんやて(通院のためのタクシー代、ルイ・ヴィトンのカバン代は、JRが払ってくれた)。
まだ二十歳になってへんのにすごい経験をしたもんや。運がよかったんやろけど、どこでも地べたにすわる性格(あるいは感受性)がなかったら、えらいことになっていたのはまちがいない(助かった人でも、PDSDとかゆうので苦しんでいるのやろ?)。
その青年のことを教えてくれた青年(事故に会った青年の友だちであり、いっしょにボーリングもした)も、すごい経験をしている。
自宅マンションの4回から落ちて、尻の穴に潅木の枝が刺さった(もう少しずれていたら命がなかったとゆわれたらしい)。腰の骨も折ったし、今も尾てい骨が砕けたままや(治すためには、医者が、尻の穴に手を入れて、ガツンとするようやからやめとくんやて)。
警察で、「なんかやっとんやろ?」とゆわれたらしいけど、真夏にサッカーの練習をして、熱中症になったのが原因や。家で寝ていたけど、白い着物を着た女が、「こっちへおいで」と手招きをしたので、ベランダから外に出たら、あっとゆう間に落ちた。そのとき、とっくの昔に死んだ自分のおじいさんが体をひっぱってくれるのもわかった。もう少し、外側やったら、コンクリートの上に落ちた(本人は、おじいさんが命を助けてくれたとゆうている)。
他人から顰蹙(ひんしゅく)を買う性格も、自分を助けることもあるんやな。そうしたら、「人生には無駄なものは一つもない」ゆうのは正しいのや。
ぼくが、会社が大きくなるのをええことにし、事業拡大にどんどん金をつぎこんで、ついでに女遊びをした挙句、会社をつぶしたのも無駄やないのや(仕事が順調やったら、自分の子供より若い連中と知りあいになることもなかったやろ。そんな連中はまだまだ知っている)。
せやけど、それで得心しとったら情けないか。若い連中に負けんようにがんばるわ。夜遊びはせえへんけど。