シーラじいさん見聞録
目が慣れていないこともあって、あたりの様子はわからないが、海面に出たようだった。
波もなく、穏やかだ。気持ちのいい風が吹いている。
しかし、どうしたんだろう、海底にある山脈の穴を通ったはずなのに、また海面に出たのは。
場所を特定されないように山をくぐっただけなのか、サメやウミヘビがあちこちで目を光らせていたのも、そのためなのか。
わたしたちは、あたりをうかがった。しかし、何の手がかりもない。星座でどこにいるか判断しようとしたが、星も全くみえない。どんなに曇っていても、飛行機や人工衛星は、光って見えることもあるし、雲も動いているはずなのに。
「どうなったんでしょうね」
「海はともかく、空の様子はおかしい。宇宙が感じられない」
「まさに海底王国に来たようだ」
わたしたちは、不安な気持ちになった。
「シーラじいさんたちはどうしたんだろう?」多田さんが言った。
「そうだ。早く行きましょう」高島さんが叫んだ。
「場所はすぐにわかります」倉本さんが答えた。
わたしたちは、シーラじいさんやサメの後を追った。
やがて三つの影を捉えることができた。どんどん泳いでいく。
30分ほど進むと、行きどまりになっているように思えた。どこかの島に着いたのだろうか。
そのうち、大きな岩が、衝立(ついたて)のようにせりだしてきた。
それが、何十とあり、その間は広大な部屋のようになっていた。
シーラじいさんたちは、そのうちの一つに入っていった。
さらに進むと、何か大きな影が見えた。船ぐらいの大きさだ。
ようやく2頭のサメは止まった。そして、シーラじいさんのほうを振りかえった。
シーラじいさんは、大きな影をじっと見ていた。影の先には太いロープのようなものがいくつかあり、それらがときおり動いていた。
あれはタコか!しかし、今まで見たことのない大きさだ。
わしのヒレを食いちぎったタコでも、ここまでは大きくなかった。
シーラじいさんは、巨大なタコが、足を絡ませているのを呆然と見ていた。
何かを食べているのか。しかも、タコのまわりには、大きな者が、10頭近く大ダコのまわりにいた。
また、タコの絡みあった足の間を、小さな魚が出入りしているようだ。
タコが捕らえたもののおこぼれを食べているのかと思った。
そのとき、「シーラじいさんですか」と近づいてきた者がいた。
4,5メートルはあった。オリオンのような体つきをしているが、仲間ではないようだ。
「そうじゃが」
「お待ちしておりました」
「どなたで」
「わたしは、ここの医者です」
「すると、オリオンを治療しておられるので」
「そうです」
「オリオンは、どこにいますのじゃ」
その医者は、タコのほうに顔を向けた。
「すると、オリオンは死んでしまったのか」
「いいえ、あの者たちが、必死で生きかえらそうとしています」
「すると、タコの中にいるのはオリオンか」
医者はうなずいた。
「子供が沈まないにようしながら、体に刺激を与えているのです」
「小さな魚が出入りしているが」
「あれは毒をもっています。その毒の量を加減して、薬として使っているのです。みんな寝ないでがんばっています」
「それは世話になっています。容態はどうかな」
「体をひどく打ったので、内臓が相当やられています。
まだ意識が戻りません。しかし、ときおり『シーラじいさん』と呼ぶことがあります。それで、部下が、あなたを探しにいったのです。後はあの子供の運命を信じるしかありません。
ただ、あの子供がわたしたちにとって大事な存在になるという声を聞いたという噂があって、みんな助けたくて必死なんです」
「そうだったか」
「あなたが見つかった奇跡が、もう一つの奇跡を呼びおこすかもしれません」
医者は、現状を淡々と説明したが、その中には、命に対する深い愛情が感じられた。
医者は、またオリオンのほうに戻っていった。
シーラじいさんも、タコに近づいた。しかし、大きな頭から出ている太い足が巻きついているので、オリオンが見えなかった。
それで、海に潜って、タコの下に行った。
5,60センチはあろうかと思われる足をいくつも重ねて、ベッドのようになっていた。
さらに近づくと、足の間からオリオンの体が見えた。目をつぶったままだった。
ああ、オリオン。わしじゃ、シーラじいさんだと声を出した。体をさわってやろうとしたが、足がじゃまになってできなかった。
しかし、ずっとここにいてやろうと思った。
そのとき、「ここを案内いたします」という声が聞こえた。
先ほどの医者の仲間のようだったが、丁寧な物腰だった。
「いや、ここにいてやります」
「長旅をされたので、どこかでお休みしてもらえ、何かあればすぐお呼びするのでと院長が申しておりました。もしよければ、ご案内しますが」