シーラじいさん見聞録

   

しばらく沈黙があった。そして、「ジム、わかった」というトムの声が聞こえた。
「おめえの気がすむようにしたらいい」
「トム、ありがとう。おれは、二人に、助けてくれたお礼は必ずすると約束したんだ」
「そこでだ。ジム、イルカやじいさんのような魚は、しゃべれると言ったな」
「ああ」
「それなら、おめえの言うことはわかるのだな」
「もちろんだ」
「じゃ、船についてくるように言うさ」
「オリオンは、背びれがないので、なるべくゆっくり走ってやってくれ」
「そうする」
「じいさんはどうなんだ?」
「いや、シーラじいさんは早く泳ぐことができないので、ここで待っていてもらうことにする」
「じゃあ、まず前祝いといこうじゃないか」マイクが口を挟んだ。
3人は船室に入った。
その会話を聞きながら、シーラじいさんは、オリオンに船についていくように言うべきかどうか考えた。
ジムは信頼できるニンゲンだ。しかもよく気がつく。わしに聞こえるように、デッキで大声でしゃべってくれた。
しかし、トムとマイクは、何か急いでいるようだから、いつまでジムの言うことを聞いてくれるだろうか。
目の前に、オリオンがいるのが見えた。
「オリオン、ジムといっしょに行くときが近づいたな。でも、ジムが何を言ってもしゃべるなよ」
シーラじいさんは、オリオンを見るとやめろと言うことができなかった。
「どうしたんです」オリオンは、怪訝(けげん)な顔をして聞いた。
「うむ、ジムは約束を守ろうとするだろうが、仲間のことがまだ信用できない。もしおまえがしゃべることがわかったら、おまえを利用するかもしれない」
「どういうことですか」
「おまえを、どこかに売りとばしてしまうかも知れないのだ」
「それだったら、やめたほうがいいのではないですか」
「まだ大丈夫だが、このまま年を取ると泳ぐこともできなくなる。この機会を逃すべきではないという思いもある」
「でも、シーラじいさんと別れなければならない」
「なーに、また会える。やさしいニンゲンなら、背びれをつけると、すぐ海に戻してくれる。
そうしたら、教えたとおりにオリオン座とシリウス、うお座の直線距離を南の方へ進め。そうすれば、わしが待っている」
そのとき、倉本さんが、ぼくに近づき、小さな声で言った。
「小林さん、以前、二人が別れたときから考えていたのですが、これを使ってもいいでしょうか?」
倉本さんは、小さな箱を持っていた。その箱には、2,3個のスイッチと、一本のアンテナがあった。
「何ですか?」わたしは、それを見ながら聞いた。
「水中通話機」
「水中通話機?」
「言葉のとおり、水中で相手と交信できるものです。わたしたちの場合は、そういうことをしないので、相手の声を聞くだけですが」
「ちゃんと聞こえるのですか」
「潜水調査船『「しんかい6500」と母船の『よこすか』との間でも使われています。
『しんかい』が6000メートル以上潜っても、『よこすか』で話を聞くことができます。
日本に帰ったとき、わたしたちに合うように変えました。音波で交信しますから、やや遅れますがはっきり聞こえます。
さらに骨伝導システムを取りいれ、声だけを拾う集音装置をつけました」
「おもしそうですね。それを誰につけるのですか」
「二人にです。この小さなマイクを、顔のどこかに埋めこむのです」
長さ1センチぐらいの小さなマイクを見せながら言った。
「ぼくらはシーラじいさんについていきますから、シーラじいさんにはいらないのでは?」
「そうなんですが、これから何が起きるかわかりません。二人が何を言うのかを聞きのがしたくないのです」
倉本さんは、いつものように落ちついて話した。
「わかりました」わたしは、すぐにシーラじいさんに近づき、「シーラじいさん、ちょっと聞いてください」と頼んだ。
「ああ、なんじゃね」シーラじいさんは、オリオンから離れて、わたしのほうに来てくれたので、水中通話機のことを急いで説明した。
「オリオンに何かあればすぐわかるのじゃな」シーラじいさんは、マイクをつけることを承諾してくれたので、倉本さんに合図をした。
倉本さんは、シーラじいさんとオリオンの顔の下のほうにマイクを埋めこんだ。
そのとき、「ジムが呼んでいます」オリオンは叫んだ。

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