シーラじいさん見聞録
マイクとジョンはトロムソ大学海洋研究所にいた。アムンセン教授に着任した挨拶をするとともに、オリオンの到着が遅れていることを詫びた。
70才近い教授は穏やかな笑顔で、「気にしなくていいよ。アレグザンダー中尉は軍人だから任務が優先だろう」と慰めてくれた。
「ありがとうございます。ベンは、いや、アレクザンダー中尉は任務中でも、オリオンに関しては連絡をしてくれていたのですが、少し途絶えていまして。
もしかしたら、緊急事態でも起こったかもしれません。それが落ちつけば、すぐに連れてくると思います」
「そうだろう。電話では、自分の責任でオリオンをぼくに託すと言っていたよ」
マイクとベンは教授室から出た。「とりあえず教授には待ってもらえたな。ベンのことも心配だが、オリオンをこの目で見ないと次のことが考えられない」
「まちがいなくオリオンはここに来るよ」
「そう思う。とりあえずアントニスに連絡をしよう」
「アントニス、ぼくだ。今どこにいるんだ?」
「マイク。ぼくらは今シティキャンプというホテルにいる。しばらくこのホテルに滞在してから、不動産屋の紹介でアパートを見るつもりだった。しかし、ここが気に入った。きれいで便利だ。大学にも港にも近い。
だから、みんなと相談して、当分ここにいることに決めたよ。それに、シーラじいさんの手紙を運んでくれるカモメにも便利だ」
「じゃ、ぼくらはすぐ近くにいるわけだ。今アムンセン教授と話してきた」
「うまくいったかい?」
「何も心配ない。すばらしい人間だ。これなら、オリオンを任せても大丈夫だろう。ただ、ベンのことは何もわからないと言っておいた」
「ベンについてはまだ連絡がないのか」
「ない。もし生きているのなら、本人から連絡が来るはずだがそれもない。誰であれ連絡を待つしかないが、オリオンが生きていることはまちがいないので、準備だけは進めておかなくはならない」
「近くにいるのならホテルに来いよ。これからのことを相談しよう」
「すぐ行く」
20分ほどしてマイクとジョンが来た。二つのチームはお互いの無事を喜んだ。そして、すぐに今後のことを話しあった。
「まずシーラじいさんからの手紙を受け取るためにとりあえず港に行こう。観光客は少なくても、地元の人間で溢れかえっていたので、カモメがすぐにわかるようにしよう。
それから、オリオンはいずれ来るだろうが、クヴァル島を越えて、トロムソの港まで来たんだろうか」
「港も船で混雑していたので、危険だな」
「それじゃ、ぼくらのほうから迎えに行ったほうがいいよ」イリアスがすかさず言った。
「でも、南側と北側かわからないぞ」ジムが指摘した。
すると、「これを見てごらん」イリアスは自分たちも乗ってきた「沿岸急行船」の案内図を広げた。
みんなそれを見た。「オリオンはトロムソを探すのに苦労したと思うんだ。無数の島があるから、外洋からトロムソを見つけるのは並大抵ではない。オリオンは船に書いてある字を読んで場所を知ろうとした。
しかし、急行船はほとんどフィヨルドに沿って進むから、島があれば、船の姿が見えないけど、トロムソの近くで外洋に出る。ほら、ここだ」みんなはイリアスの説明に引き込まれたようにうなずいた。
「ここはトロムソの北側だから、ここから船を追いかけたと思う。そうしたら港があって、どこかに書いてある字を読んで、ここがトロムソだとわかった」
「なるほど。だからオリオンは、島の北側から来ると言うのか」
「ぼくはそう思う」
「イリアスはどんどん賢くなるわね」ミセス・ジャイロは感心した。
「ほんとだ。イリアスはオリオンを一番理解しているかもしれないな」マイクが言った、
「ベンと連絡がとれなくなって心細かったけど、きみがいると心強いよ」ジョンはイリアスに握手を求めるほどだった。
「それじゃ、港に行ってシーラじいさんからの手紙を待つことにしよう」港に急いだ。
雨が降ってきたので人影はすくなかったが、無数のカモメが空を舞っていた。空からよく見えるように広い場所に移動した。
そこで、1時間ほどオリオンやベンについて話をしていると、ずっと空を見ていたイリアスが、「来たよ、来たよ」と叫んだ。
みんな空を見上げた。2羽のカモメが下りてきた。カモメは、みんな顔なじみだと判断したのだろうか、すぐに近づいてきた。
イリアスは、ありがとうと声をかけて手紙を受け取った。アントニスはそれを読んだ。
「オリオンはこちらに向かっているぞ!」と叫んだ。「それと、リゲルたちは反対したが、オリオンはベンとの約束を守ることを選んだと書いてある」
「リゲルたちは反対したのか」マイクが言った。
「みんなの気持ちは一つだろうが、オリオンをまた狭い場所に戻すのは反対なのだろう」アントニスが自分の考えを言った。。
「そういうことか」
「とにかく、シーラじいさんに返事を書く」アントニスは急いで手紙を書いてカモメに渡した。カモメが飛びたってから、「みんなでオリオンを守りますと書いたんだ」と言った。
「多分、リゲルはここでしばらく休めと言ったんだろうな」ジムが再び話をもちだした。
「ぼくもそう思う。それに、オリオンは海にいたほうがよかったんじゃないか」
「どうして?」
「オリオンは、海底にいるニンゲンを助けたいんだ。ぼくらが準備してから、海にいるオリオンに頼むのが一番いいと思う」
「深い海に潜る体力もつくな」ジムは賛成した。
「でも、海底まで行けるセンスイカンは少ないし、今の状況で、そんなことを信じる政治家はさらに少ない。だから、オリオンはアムンセン教授に賭けたんだと思う」マイクが言った。
「それじゃ、直接オリオンに聞こうじゃないか。船がチャーターできるか調べよう」アントニスは話を切りあげて、マイクとジョンの3人で出かけた。他の者はホテルに戻った。
夕方戻ったきたアントニスは船がチャーターできたことを知らせた。イリアスは、「ぼくらも行けるの」と聞いた。
「もちろんさ。オリオンは用心しながら泳いでいるはずだ。みんなで探さなければならないからな」
2人は、あちこち回って、漁をしないという約束で大きな漁船をチャーターしたきた。
船の写真を取ってきたが、それには、オリオンが入った水槽を持ち上げるクレーンもついていた。
誰にも見つからないのなら、オリオンは港まで船に着いてくるだけだが、船の往来が激しいうえに、イルカが目撃されたら計画が予定どおり進まないおそれがあるので、オリオンには水槽に入れなければならないのだ。
マイクは、アムンセン教授に電話をかけた。「ベンからは連絡が来ないが、オリオンはこちらに向かっているらしい。到着したら連絡するので迎えにきてもらえないか」と頼んだ。
教授は快く引き受けてくれた。それから、写真を見ながら、オリオンが着いたらどうするか全員で打ち合わせをした。
マイクとジョンもホテルに泊まり、朝4時に港に向かった。まだ真っ暗だった。
船は港のはずれにある漁船専用の停泊場に係留されていた。マイクとジョンは海洋研究所のスタッフだったので、船の操縦には慣れていた。
全員。昨晩決めた場所についた。オリオンは正面を担当することになった。操縦するジョンが、「それじゃ、出発」と大きな声をかけた。
船はゆっくり北に向かって動きだした。まだ暗い。トロムソ市街と本土側の夜景が輝いていた。
オリオンは、操縦するジョンの横に立って、あたりを見ていた。ぼくらが来ることがわかっているので、もし近くにいても、明るくなるまでは外洋にいるだろうとイリアスは思った。そして、海底にいるニンゲンを助けるというオリオンの夢に自分も役に立てると思うと、寒さで震えていた体が一気に熱くなった。
「イリアス、向こうに見える島影がクヴァル島だよ」ジョンが声をかけてきた。「ジョン、ありがとう。オリオンは、もう島の向こうに来ているかもしれないね」、「そうだな。島を過ぎたら、きみが教えてくれたとおり、すぐに左に舵を取る。なるべくゆっくり走るからよく見ておいてくれよ」
「了解」イリアスは少し明るさが見えだした海を見つめた。
30分ほどすると、船は島を左に曲がり、そのまま、島沿いに外洋を目指した。行き交う船も増えてきたので、ジョンは細心の注意を払って操縦した。
2時間ほどしてノルウェー海に出た。そこに止まってしばらく様子を見た。それから、ジョンは、みんなと相談しながら近くを回ってみたが、オリオンはいなかった。
イリアスは、オリオンといっしょにいるはずのカモメが飛んでいないか注意を払っていたが、それにも会えなかった。
「オリオンはまだ着いていないんだ。もし来ていたら、カモメがぼくらを見つけてくれるはずだ」
「そうかもしれないな。それじゃ、今日は引き上げて、明日もう一度来ようか」アントニスは答えた。
翌日も午前4時に港に向かった。外洋に着いたときは午前8時だった。しばらくオリオンを探したが、やはりいなかった。
30分ほどすると、イリアスが「向こうに何かいるような気がする」と言った。ジョンは、「ほんとか。じゃ、そちらに行く」戸答えて、そちらに向かった。
「しかし、カモメはどうしたんだろう?」ジムが聞いた。
「それが不思議なんだ」イリアスも同じ気持ちだった。いつもオリオンに危険がないか空から見張っているはずなのに。
しかし、イリアスには自信があった。「でも、あれはオリオンだよ」と言った。イリアスの自信のある言葉で大人は船首に集まった。
「ほら、オリオンだろう?」イリアスは叫んだ。「確かにあの背中はオリオンだ」ジムは断言した。
その声に気づいたか、船の動き以上の早さでそれは近づいてきた。それは船のすぐ前に来た。「やっぱりオリオンだ!オリオン、無事だったか」イリアスは転落するぐらい体を傾けてオリオンに声をかけた。
オリオンは体を海面から高く出して、「イリアス、ありがとう」と挨拶した。そして、後ろにいる大人にも、「心配かけました。ようやく来ました」と言った。
「よく来てくれたな。シーラじいさんの手紙には、リゲルたちがトロムソに行くことに反対していたそうだから、もう来ないのかと心配していたんだ」アントニスが冗談めかして言った。
「シーラじいさんは、そんなことも書いていたんですか。確かにぼくのことを心配して、そう言っていましたが、最後にはぼくの気持をわかってくれました」
「そうだろう。きみは頑固だからな。だから、みんなきみが好きなんだよ」
「あはは。みんながぼくのために命がけでやってくれるから、好きなことができるんです」
「カモメはついてきていないのか」ジョンが聞いた。
「いや、2羽ついてくれています。ここに近づいたとき、みんなに連絡すると言って、港のほうに向かいました」
「やはりね」イリアスは得意そうに言った。
「ぼくらもきみに早く会いたくてここに来たんだ」
「ありがとう。すぐに帰ってくると思います。ベンは?」
「まだどこからも連絡が来ないんだ。最悪のことも考えておかなくてはならない」マイクは正直に言った。
「助けられるものなら助けたいと思います」
「ベンは、どこにいようと、あなたが夢を実現することを望んでいるわよ」ミセス・ジャイロはオリオンを励ました。
「はい。ぼくを助けてくれたベンには恩返しをしたいと思っています」
「じゃ、アムンセン教授に連絡していいかい?」マイクは思いきって聞いた。