シーラじいさん見聞録

   

「ママ、ぼくは、何も思いつかなかったし、強くなって帰ってくることもできなかった」
子供は、申しわけなさそうに小さな声で母親に言った。
「そんなこといいんだよ。またおまえの顔を見られただけで、どんなにうれしいか!」
「お兄ちゃん、わたし淋しかった」
それを見ていた男は、「わしらが弱いから、こんなことになったんだ」とつぶやいた。
しばらくして、その子供は、シーラじいさんたちの方を振り向いた。
「ママ、この人たちがぼくを心配してついて来てくれたんだ」とようやく顔が明るくなった。
「まあ、たいへんお世話になりました」
母親は、ていねいに頭を下げた。
「いや、息子さんは立派だった。わしらに、自分の国の事情をちゃんと説明することができたし、どうするか一生懸命考えていた」
母親は、黙ってうなづいた。
そのとき、「あっ、あいつらだ」男が叫んだ。
シーラじいさんとオリオンは振りむいた。
暗闇の中を、2つの影が横切ったように見えた。
「わしらのところへやってきて、妙な噂を広げるのは」
オリオンは、それを聞くやいやな暗闇の中を追いかけた。
シーラじいさんと男も、急いでついていった。
大きな岩を曲がると、オリオンがどっちへ向ったかわからなくなった。しーんと静まりかえった暗闇が広がっているだけだった。
どちらに行こうか迷っていると、マグロの子供は、「ぼくが探してくる」と言って、一人で泳ぎだした。そして、すぐに暗闇に消えた。
「ぼうや、気をつけて」子供の母親の声がした。母親もついてきていたようだ。
しかし、その声もすぐに暗闇に吸いこまれた。
シーラじいさんたちは、しばらくそこでとどまっていたが、暗闇の奥から誰かがやってくる気配があった。
子供が帰ってきたのだ。「向こうでオリオンの鳴き声が聞こます」
「よし、行こう」シーラじいさんは、子供の後を追いかけた。
大きな岩陰をいくつも曲がると、確かにオリオンの鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声は、すぐそばで聞こえてくるようになった。
あたりを見まわすと、岩場の底に大きな影があった。オリオンだ。
シーラじいさんは、それを見て、オリオンが倒れているのではないかと心配したが、「シーラじいさん、逃げ足の速いやつらでたいへんでした」と、オリオンは、息を弾ませながら言った。
「オリオン、大丈夫だったか。ところで、あいつらはどこにいるんだ」
「ぼくが押さえつけていますよ」
よく見ると、二つの尾びれが動いていた。助けを求めているようだった。
どうやら、追いついて、そのまま押さえつけたようだ。
「オリオン、そいつらを楽にさせてやれ」
オリオンは、体を浮かした。しかし、二つの物体は動こうとしなかった。
しかし、力なく尾びれは動いているので、死んではいないようだ。
シーラじいさんは、二つの物体に近づき、大きな声で聞いた。
「おまえたちに聞きたいことがある」
しかし、返事はなく、うーんというような唸り声がかすかに聞こえるだけだ。
オリオンの重さで押しつぶされそうになったのだろう。
しかし、しばらくすると二つの体は少し動きだした。
頭を上げ、目はきょろきょろさせて、まわりを見た。何か起きたかわからないといった様子だった。
「おい、おまえたち話せるか」
「なんだ」一人が振りしぼるような声で言った。
「おまえたちは、なぜこの国に争いを持ちこむんだ」
「どういうことだ」
「おまえたちが来るようになってから、ここでは毎日けんかが起きている」
「わしらは何も知らん」
それを聞いたオリオンは、また二人の上におおいかばさろうという構えを見せた。
「待ってくれ」
「それじゃ、どうなんだ」
「ときどき、ここへ来て、だれかれ悪口を言ってくれと頼まれただけなんだ」
「誰に」
「知らない」
「まだ痛い目に会いたいのか」オリオンは、体を動かそうとした。
「わかった」
今まで黙っていた魚が声を出した。
「おれたちは、ここからかなり離れたところにすんでいるが、食べものが少なくなってきたのが悩みの種だ。
しかし、あるとき、初めて見る者たちがやってきて、『わしらのいうことを聞いてくれたら、食べものの心配いらない』と持ちかけてきた。
それで、手分けして、あちこちの国に出かけて、こういうことをしているのだ」
「何の目的だ」
「いや、知らない。とにかく、わしらは頼まれただけなんだ」
「じゃあ、そいつのところへ連れていけ」
「どこに住んでいるのか知らないが、ときおりおれたちの国に来る」
「よし、おまえたちの国に案内してくれ」
二匹の魚は、のろのろと浮きあがった。

 -