シーラじいさん見聞録

   

3つの影は、濃紺の海の中を吸いこまれるように小さくなっていた。
しかし、一番小さな影は、遅れがちで、動きもぎくしゃくしていた。シーラじいさんは、オリオンとマグロの子供に必死でついていこうとしていた。
その子供は、母親と妹が心配なのか、後ろを振りかえることもせず、先を急いだのだ。シーラじいさんは、とうとう二つの影を見失った。
とにかく下に向かうことにした。しばらくすると、案の定、キィ、キィという声が響いた。
オリオンがもどってきた。
「シーラじいさん、大丈夫ですか」
「オリオンか、大丈夫だ」
「友だちが、どんどん行くので、ぼくも思わず急いで行ってしまいました」
「わしは、深い海に慣れているので、心配せんでもいいぞ。あの子についていってやれ」
「わかりました。何かあったら、すぐにもどってきますから」
オリオンは、くるっと向きを変えると、また下に向った。
そこは、真っ暗で何の音もしない世界が広がっていた。遠くで、クラゲが放つ光が妖しく光っていた。
シーラじいさんは、その光景をゆっくり感じたかったのか、疲れてきたのか、進む速度はさらに遅くなった。
やがて、何かが近づいてくるのを感じた。
「シーラじいさん、どうやら着いたようですよ。友だちには、しばらく待っているように言ってきました」
オリオンの声は緊張しているようだった。
「よし、わかった」シーラじいさんも、それ以上言わずに、オリオンのあとを追った。
漆黒の世界の中に、さらに黒々とした影が見えた。島から、かなり大きな岩が突きでているようだ。食料や安全性からも居心地のいい場所なのだろう。
近づいてみると、シーラじいさんの国のように、岩が城壁のように、国を囲っていた。
「あそこに、友だちがいます」
オリオンは、声を潜めて、シーラじいさんにささやいた。
岩陰で子供が待っていた。
シーラじいさんは、岩の間から、そっと顔を出し、様子をうかがった。
誰かいる気配はない。
「よし、おまえたち、入ってこい」というように、後ろを振りかえった。
シーラじいさんは、自分とオリオンの間に、その子供を入れた。三つの影は静かに進んだ。
岩の底には、小さな魚やエビのようなものが動いているだけで、だれもいなかった。
やがて、子供は、小さな岩の前で止まった。そして、「ママ、ママ」と小さな声で呼んだ。
しかし、返事はなかった。
子供は、こっちを振り向いたが、不安そうな顔をしていた。
「ママはいないのかい?」オリオンも小さな声で聞いた。
そのとき、「おまえか」という声が聞こえた。
だれもが凍りついた。「ああ、おじさん、ぼくです。元気でしたか?」
子供は、声のほうに近づいた。
「ああ元気だったか?」
「おじさんも、元気そうで」
どうやら知りあいのようだ。
「ママたちがいないのですが?」子供は、不安そうに聞いた。
「二人とも元気だよ、今食料を探しにいっている。ここらは危険なのでね。もうすぐ帰ってくるよ」
「そうでしたか」子供は、安心したように答えた。
「留守の間、お世話かけました」
「お母さんから聞いたけど、おまえこそたいしたものだ。この国をなんとかしなくちゃと立ちあがったのだから」
その男は、そう言ってから、シーラじいさんとオリオンを見た。
子供は、二人のことを紹介した。
「そうでしたか。大人がふがいないので、こんなことになってしまって」と、情けなそうに言った。
「今は、どういう状態ですか」子供は、その男にたずねた。
「あいかわらずさ。いや、もっとひどくなっているかもしれん」
「ちょっと聞いたのじゃが、見知らぬ者が、よからぬ噂を広げているというのは本当か?」
「はあ、しかし、今は、だれも自分を抑えることができなくなっていて、毎日もめごとばかりで。子供の手前恥かしいことです」
そのとき、「お兄ちゃん!」という声が響いた。
そして、「ああ、おまえ、ちゃんと帰ってきてくれたのね」
子供の倍はあろう思える、母親らしい魚は、その子供に自分の体をくっつけた。
3人は、長い間泣きながら再会をよろこんだ。他の者は、まわりを囲んで見守っていた。

 -