シーラじいさん見聞録

   

大きな声と波しぶきが起きた。それは感謝の気持ちのあらわれだったが、シーラじいさんは、シャチが理解できたがどうか不安だった。
しかし、全員で育児や助けあいをするのは、他のシャチより社会性が高いことをこと知ってもらえれば、今後何かの役に立つかもいれないと考えて、その場を離れようとした。
そのとき、「質問したいのですが」という声が上がった。前でじっと聞いていた青年だった。
「何じゃな」シーラじいさんは答えたが、その青年は振りかえり、どこかを見た。
かなり年配のシャチがうなずいた。まず、シーラじいさんを引きとめてから、許可を取ったようだ。そして、大きな声で話しはじめた。
「まず、わたしたちの仲間を助けていただいたことを心よりお礼申しあげます。
みなさんが、自分たちの仲間でない者を助けるために、あの嵐の中を、命の危険を顧みず探してくださったことにはたいへん感激しています。
また、社会とはどういうものかもよくわかりました。自分たちを客観的に見ることなどなかったので感銘を受けました。
さて、わたしたちは社会性が高いということですが、社会性が高くなると、個人より社会を守るようになるというように思われるのですが、それについてはどうお考えですか」
「これはすごいことに気がついたな。それはニンゲンの社会でも大きな課題じゃ。ニンゲンには権利と義務という考えがある。
ここの社会を例にとれば、社会で育児をする、あるいは助けてもらえるということが権利とすれば、自分のことを後回しにして、他の子供の育児をする、あるいは、誰かを助けることが義務といえる。それが権利と義務じゃ。
社会が義務を求めすぎると、権利が小さくなる傾向がある。だから、社会は善となることもあるし、悪となることもある。いずれにしても、その社会の中にいる者が決めるのじゃ」
それに触発されたのか、別の者が発言した。
「クラーケンというものは、社会だけでなく、世界を脅かす存在だということはわかったのですが、わざわざ出かける意味があるのかどうか。
もしクラーケンが襲ってきたら、わたしたちは力で、あなたたちは勇気と知恵を生かして逆襲すればいいのではないですか。
わたしたちの中にはクラーケンの影響を受けた者がいることはわかったのですが、それはほんの一部で、わたしたちの社会には何も影響がないように思うのですが」
「それは鋭い質問じゃな。以前、わしらが住んでいる場所にクラーケンたちが来たことがあって、何とか追いかしたことがあった。
しかし、やつらが、何のためにそんなことをするのかわからないままじゃ。
それを知りたくて、ここまで来たが、途中何回も引きかえそうと考えた。
しかしながら、最近、わしらのように海にいる者だけでなく、空を飛んでいる者もニンゲンを攻撃しはじめたことがわかった」シャチの中からざわめきが起きた。
「それは本当ですか」誰かが声を上げた。
「まちがいない。空を飛ぶ仲間から聞いたし、ニンゲンの書いたものでも知った」
「それはどんなふうにして?」
「ニンゲンが飼育している鳥の近くに糞を大量に落とす。すると、糞に混じっていた病原菌に感染して死んでいく。いずれそれはニンゲンにも感染していくようになるじゃろ」
「戦わずにして、相手を殺すことができるのですか?」
「ニンゲンも、何が起きているかわからないようじゃ」
「これからどうなるのですか」
「どうなるのか、わしもわからない。ニンゲンは、知能もない動物が自分たちを攻撃するなんて信じられないし、よしんば、そんなことがあっても、それで自分たちが絶滅するなど考えられないじゃろ。
わしが心配しているのは、動物が攻撃してくるのは、どこかの国の陰謀ではないかと疑心暗鬼に思う国が出てくるのではないかということじゃ。
そして、何かのきっかけで争うことになればやっかいじゃ。ニンゲンは、世界を破滅させるほどの武器をもっている。
だから、それを使うことは、相手だけでなく、自分たちの命も、社会も失うことを意味する。
そうなれば、わしらのように海にいる者、あるいは、空を飛ぶ者も生きていけない。
世界の破滅じゃ」
シーラじいさんはそこまで話すと、ミラが大きな声で伝えおえるのを待った。
何千頭もいるシャチからは、どんな声も、どんな動きもなく、まるで巨大な島のようだった。
シーラじいさんは、また話しはじめた。
「クラーケンたちが、何らかの憎悪から、ニンゲンを攻撃しているとしても、そこまで考えているとは思えん。
ただ、ニンゲンが書いたものを読んでいると、戦いは、取るにたらぬ原因で起きることもある。
今言ったとおり、世界を破滅させる武器をもっているから、そうそう戦うことはしないとは思うが、海のことも、多少陸のことも知っている者として、何かできることがあればと思っている」
「これから、どうされるのですか?」
「お世話になっているリゲルが、そろそろ戻ってくると聞いておる。リゲルやオリオンたちと相談して、みんなが望むようにする」
「これは絶対探すべきです。わたしたちの運命もかかっているのですから。
わたしたちもついていきます」シャチの中から賛同の声が上がった。
「いやいや、気持ちはたいへんありがたいが、今度どうすべきか決めていないし、もし探すとしても、長い年月がかかる。あなたたちには、守るべき社会がある」

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