シーラじいさん見聞録
シーラじいさんは、リゲルたちはミラに聞きたいことがあるだろう、ミラも見たことを話したいだろうとわかっていたが、今はそうすべきでないと考えた。
どんなに大きな者でも悲しみにとらわれていると、敵が近づいてきても、それに気づかず命を落とすこともあるのだ。それが海の掟なのだ。だから、リゲルたちに次の行動を早く取らせたのだ。
シーラじいさんは、わしに構わず、「海の中の海」に急げ、幹部たちが待っているぞと大きな声を上げた。そして、ミラとベラには家に帰って報告をせよと言った。
しかし、ベラは、「私は帰りません」ときっぱり答えた。
「パパは、どんなことも永遠に続くことはない。だから、楽しいことは楽しめ、辛いことは逃げるなと教えてくれました。今は辛いことばかり起きていますが、パパといると思っているのでどこにも帰る必要はありません」
ベラの顔には強い意思があらわれていた。
「ベラの気持ちはわかった。それじゃ、行け」シーラじいさんは急がせた。
しばらくして、ミラは一人別の道を行くことになった。ミラは立ちどまった。
「こんな広い海でパパの最後を見ることができたのは奇跡だ。これもみんなのおかげだ。ありがとう」
リゲルたちは、ミラの思いを考えるとうなずくしかなかった。
「それに、シーラじいさんに名前をつけてもらって、みんなの仲間入りができた。
こんなうれしいことはない。いつかは恩返しをしたいと思っているんだ。
それじゃ、ぼくはここで別れる。さよなら。気をつけて」
ミラは、そう言うと、一気に体を起こして海に潜った。リゲルたちが、目に溢れてきた涙を払いおとしたときには、ミラの姿はなかった。
リゲルたちは、言葉を交わすことなく「海の中の海」をめざした。4日目その上に着いた。そして、一気に第一門に向かった。
誰の胸にも、いつもと変わらず静かだが、何かあったのじゃないだろうなという不安が沸いてきたが、その不安を払いのけるように休むことなく進んだ。
門の前に行くと、岩から垂れさがっている枝が開き、数人の監視が出てきた。副官と2人の見回り人が笑顔でリゲルたちを迎えた。
「心配していた」、「よく帰ってきてくれたな」という声が重なった。
副官は、早くボスの安否を聞きたかっただろうが、「幹部が奥で待っている」と急がせた。
第二門を越すと、薄闇の中にいつもと変わらぬ「海の中の海」が広がっていた。
いつの頃からか空気や光の穴から入りそのまま居ついている鳥の鳴き声がどこからか聞こえた。
やがてあちこちから波が起きた。リゲルたちが帰ってきたことを知り急いで集まってきたのだ。
「海の中の海」にいる者ほとんどがリゲルたちを囲んだ。
「帰ってきました」リゲルは幹部に挨拶した。
「全員無事でよかった。シーラじいさんも元気か?」
「はい、先に帰って報告しろとおっしゃったので」
幹部はうなずくとリゲルの報告を待った。そして、リゲルは、「ボスは亡くなりました」と言った。
全員息を呑んだ。あちこちから泣き声が聞こえた。リゲルは感情的にならずに報告しようと決めていたので、淡々と、しかし、何一つ漏らさず報告した。
そして、「ミラが、いや、ボスの息子が自分の今までの限界を超えて潜ることができるようになったので確認できました」と締めくくった。
ボスはしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。
「やはりそうだったか。ウミヘビのばばあが来て、『たいへんなことが起きたようじゃ。
弟子たちが、南東の方角に黒い光が走ったと知らせてくれた。これは強い力のある者に異変が起きたときにそうなる。めったにあるものじゃない』と言ったが、わしらは、一笑に付した」
そして、「ボスは命をかけてここを守ってくれたのだ。みんなで冥福を祈ろうじゃないか」と集まっている者に言った。
それから、「おまえたちはゆっくり休め」とリゲルたちに声をかけると、その場を離れた。
副官たちも監視に戻った。
改革委員会のリーダーは、オリオンに近づいて声をかけた。
「こちらも警戒は怠らなかった。病院に入院していた者も回復して、全員監視につくようになった。
しかし、あれからクラーケンなどは入ってこなくなり、ここは元のように平和になった。
クラーケンの情報はなにかあったかい?」と聞いた。
オリオンは、「ボスとクラーケンが戦ったときから、クラーケンはまったく姿が消えたようだ。誰も直接見たものはいず、噂話ぐらいだった」と答えた。
リーダーは、さらに「オリオン、ボスはニンゲンに殺されたと思うか?」と聞いてきた。
「よくわからないが、あのとき、ニンゲンがボスを襲う理由はないはずだ」と日頃思っていることを繰りかえした。
「シーラじいさんが帰ってきたら、分析をお願いしようと思っているのだが、きみに見せたいものがあるんだ」と小さな声で言った。
リーダーは、改革委員会の部屋にオリオンを連れていった。そこは、司令室だけでなく、避難所や病院になっていたが、クラーケンたちが来なくなってから、元のように改革委員会の部屋になっていた。
病院になっていた奥の場所に行くと、リーダーは、「これだよ」と言った。
ニンゲンの新聞や雑誌がいくつかあった。
リーダーは、一番上の英語で書かれた新聞を見るように言った。
巨大なイカのイラストが一番大きかった。そして、5,6枚の写真が載っていた。
「このイラストから判断して、今回の事件のことが書いてあるように思うのだけど、ボスの仲間の写真があるだろう?」
確かにボスに似ているが、ボス本人かあるいは仲間かはわからないが、斜め横から見たクジラの写真が一枚ある。
リーダーは、「どうしてだろう?」と独り言のように言った。