シーラじいさん見聞録

   

ここは、たいていの場所と同じように名前をつける習慣がないので、自分の命を助けてくれた、大きなエイをどう言ったらいいのかわからなかったので、シーラじいさんは、「仙人」と呼んだ。
忙しく動きまわる者を眼中におかず、砂にもぐってじっとしている姿は修行をしているようであったので、「仙人」はふさわしい名前のようだった。
そして、「仙人」の意味が伝わらなくても、それが何をさしているのか、みんなわかったようだった。
シーラじいさんの後について、石の裏手に回った。
シーラじいさんは、みんなの前で、石がどうなっているか、そして、どうすれば、石が動き、仙人を助けることができるのかを説明した。
そして、「運命に従うことも大事だが、運命に、ちょっと道を譲ってもらうことも必要じゃ」と話を締めくくった。
そのとき、大勢の魚の中から、一匹の魚が出てきた。
身長は1メートル50センチぐらいだが、頭が三角形になっていて、目が大きい。わたしは、ソコダラの仲間のトウジンであることがすぐにわかった。
トウジンは、みんなのほうを向いて、しゃべりだした。
「この老人は、われわれのために、やるべきことを教えてくれた。その善意に応えるためにも、協力して救出しよう」と声をかけた。
みんなは、大きくうなずき、すぐに取りかかることにした。しかし、大勢の者が一度に岩をかじったり、つついたりはできないので、交代ですることになった。
まず、ソコダラやソコクロダラ、トカゲギスの仲間が、いっせいに地面の岩をかじったり、つついたりしはじめた。
そして、疲れてくると、後ろで待っているものと交代した。男だけでなく、女や子供も自分から並んだ。
どうしたことか嫌われ者のサメの仲間もやってきて、その鋭い歯で、岩に噛みつくこともあった。
シーラじいさんも、自分で言った手前、誰かと交代しようとしたが、みんなをまとめているトウジンが、「それには及びません。ゆっくりしておいてください」とていねいに断った。
そうして、石との格闘は、一瞬も休むことなく続けられた。
当番でない者は、仙人に言葉をかけることも忘れなかった。
シーラじいさんも、みんながいるときは、遠くで見ていたが、見張りが少なくなったときに、仙人の近くまで行った。
仙人は、じっと目をつぶっていた。疲れていることだろうと思い帰ろうとしたとき、仙人は、目を開け、シーラじいさんを見た。
「ああ、お前さんか」
初めてあったときのような、相手の心の底まで響くような声ではなく、少しかすれて、小さな声になっていたが、はっきりと聞きとれた。
「さっそく助けてくだすった」
「いやいや。わしは、何にもしていません。みんなが、懸命にやっているのを見ているだけです」
「お前さんは、早く国に帰らなければならないのに、手間をかけたな」
「そんなことを気にしてもらうには及びません。みんなは、あなたを心から必要としているのがわかります」
「わしは、何もできぬ」
「いや、あなたの言葉の一つ一つが、暗闇を照らす光となっている」
「あはは、妙なところへ連れていかないようにしなくてはな」
それから2日して、地面の岩は10センチほどえぐられたのがわかった。
シーラじいさんは、今度は反対側から、つまり、仙人が動けなくなっている側から石を押すことを、トウジンに提案した。
さっそくトウジンは、みんなと相談をして、二手に分かれて取りくむことにした。
身長が3メートルあるかと思われるバラムツなどが集められた。また、ツノザメやユメザメといったサメの仲間も来た。
5,6匹ずつぶつかっていったが、最初はびくともしなかった。
しかし、1時間ぐらいすると、石はぐらっと動いたのがわかった。
まわりを囲んで見守っていた者は、大きな歓声を上げた。
さらにぶつかっていくと、石は、大きく傾いたと思うと、そのまま倒れた。その拍子に、大きな波が起きて、みんなひっくり返るほどだった。
仙人のところに急いだ。尻鰭(しりびれ)から下が完全につぶれていた。みんな言葉が出なかった。
トウジンは、仙人に声をかけて、様子を見た。シーラじいさんと話をしてから、急に弱っているようだった。鰓(えら)を弱々しくて入るだけで、言葉を出すことができなかった。
このままでは、生命の危険があるので、トウジンは、尻鰭から下を食いちぎった。
みんな疲れていることもあり、見張りを残して帰ることにした。
シーラじいさんも、疲れが一気に体の全身に回ったようになり、すぐに眠りについた。
次の日、仙人の様子は変わりがなかった。みんな心配になり、仙人のまわりに集まっていた。
その次の日朝早く、トウジンの子供が、シーラじいさんのところへあわてて来て、「みんな集まっているのだけど、おじいさんが死にそうなんだ」と起こした。
シーラじいさんは、急いで、子供についていった。
仙人は、もう呼吸をしていなかった。仙人の大きな体が小さくなったように見えた。
みんな仙人を取りかこんで泣いていた。
悲しいことだろう。でも、仙人が、みんなの心にいる限り、ここの者は、今までのように、どんなことも乗りこえるにちがいない。
わしは、明日ここを出るとしようかと思った。シーラじいさんは、みんなから離れて、そう思った。

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