ヨコの糸サービス

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復活ノート

「ヨコの糸サービス」
「東京23区の異状死の7割が高齢者」とネットニュースに出ていました。
「異状死」とは「異常死」ではなく、一般的には「孤独死」と呼ばれていますが、警察の捜査や解剖などが必要になる「不審死」のことのようです。
つまり、東京23区では一人暮らしの老人が多いということになりますが、そうは言っても、ほとんどの人は、独身の人生ではなく、結婚もして子供もいたのですが、連れ合いと死別なりをして、一人暮らしをしていたのです。
後期高齢者の私もそのコースを進んでいますが、幸いなことにまだ一人暮らしまでには至っていません。
一人暮らしはもちろん、夫婦で暮らしていても、体力の衰えや病気で苦しんだりすると、最後は一人であることを実感します。
ただ、普通の人なら、毎日毎日、苦しい、淋しいといって生活をしていません。
私も、緑内障で右目の視力を失い、心房細動の治療も続けなければなりませんが、ジョギングしたり、童話を書いたり、パソコンをいじったりして過ごしています。
しかし、身の回りのことを相談したり、昔のことを懐かしんだり、これからのことを話したりする相手がほしくなります。
私も、立ち飲みに行きますが、よからぬことを考えるのは少し前に終わって、今は気の合う男の高齢者に出会えないかと考えるからです。これは連れ合いでは無理です。本音が話せないからです。
そこで、立ち飲み仲間のようなサービスを提案します。まず近所の公民館でも借りて、ビールぐらいは飲んで、ただ話しあうだけです。最初は誘い水になる人はいるでしょう。
最初から深いことは誰も話しませんから、パソコンやスマホなどの分からないことを聞いたり、教えたりすれば十分です。
それでも二度とこない人や何も発言しない人もいるでしょうから、それでいいのです。
そういう人でも、ずっと家にいれば、聞きたいことや話したいことが出てくるはずです。時間をかけて、なくてはならない存在になるはずです。
「糸」という中島みゆきの名曲があります。結婚式や街角ピアノで演奏されると、聴いている人は泣きますね。
歌では家族がタテの糸、結婚相手がヨコの糸となっていますが、人生もタテの糸とヨコの糸で出来上がっています。
連れ合いが亡くなり、子供が家を出ていくと、タテの糸が切れそうになっているのが、高齢者の状態です。
お互いがヨコの糸になって、人生の最後を助けあおうというサービスです。
誰かやりませんか。