経営から学んだこと
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復活ノート
「経営から学んだこと」
時々、一度高い授業料と多くの時間をかけて、経営から学んだことをおさらいしておきましょう。
「すべての幸福な家庭は、互いに似ている。不幸な家庭は、それぞれの仕方で不幸である。」(アンナ・カレーニナ)と、トルストイは書きましたが、確かに、企業が崩壊するのは、いろいろな原因があります。私たちのような中小企業は、特にそうです。
きっと、私たち経営者のほとんどが、経営学など学んだことなく、盲滅法に刀を振りまわしてきたからでしょう。
そして、原因に対して、どう思うかも自分の仕方です。反省に終始するのか、誰かや何かに責任を押しつけるのか。全体的な分析をするのか。それも、私たちの「人(にん)」=人間性です。
ただ、破綻の兆候が出てくると、その流れを止めるのは、なかなかできないというのは、誰もが実感してきたことでしょう。
だから、もう二度とあの轍(てつ)は踏まないようにするためには、今度は、常に経営を見直し、早めに危険を取りのぞかなければなりません。
組織についていえば、「家(うち)子にかぎって・・・」と、どこの親も言いますが、私たちも、「うちの社員にかぎって・・・」と思いがちです。
会社が破綻したのは、自分に責任があって、社員が悪いのではありませんし、組織を作ったのは、自分であることを忘れてはいけません。
しかし、日頃から、社員を見ておくことが大事です。
私たちは、事業の調子が悪いときだけでなく、事業が順調なときも、組織を見ないことがあります。
といいますのは、社員の中には、自分のことしか考えない者がまぎれこんでくることがあります。
それだけならいいのですが、会社を踏み台にして、「あわよくば自分が」という気持ちを持つ者がいます。
私の場合は、「社長を国会議員にして、事業は私が責任を持ちますから」と言う幹部社員がいましたが、あっというまにやめて、同じ事業を始めました。
また、ある幹部社員は、退職させられことを恨んで、事業の妨害工作を続けました。
恨みを買うほうが悪いという意見もありますし、私自身も、会社の破綻は、社員のせいだといっているのではありません。
今回は、皆さんに考えてもらおうと思って、やや挑発的に書きました。
社員がいないと事業が行えないことは当然です。
私たちのほとんどは、社員が無条件でついてくるカリスマ性などというのは持ちあわせていません。
だから、困難に立ち向かっている姿勢を見せるだけです。会社に有害な考えは、それでしかはねつけることができないのです。
私たちは、それぞれ異なる事業をしているわけですが、経営において、経営者と社員という土台は、いっしょです。がんばりましょう。