人生とは失敗すること
{ }
復活ノート
「人生とは失敗すること」
阪神大震災や東日本大震災などの大地震だけでなく、豪雨の被害など今まで経験したことのない災害から逃れることができなくなったようです。
豪雨、それに伴う洪水、また、高温などを思うと、「明日は我が身」ということわざを今ほど実感することはありません。
さらに、今度は干ばつが襲うかもしれないのですから、普通の生活がいかに貴重なものかと思いますが、それを守るのは私たちの努力だけではどうにもなりません。
自治体や国も、国民を守るためには今までのことだけではどうしようもありません(今回の広島市の災害のように、町を修復するだけでは元通りになりません)。
民間の保険も、この気象条件に合った保険に変えなければなりません。多少高くても加入者は増えるはずです。
温暖化=異常気象に合ったビジネスは、今度あらゆる分野で生まれると思います。
それにしても、災害で家族を亡くした人が立ち直るのは膨大な時間がかかるでしょう。
それでも、忘れることはできないかもしれません。後悔する一日が一生続くのです。
家族を亡くした人から思えば、その1000分の一ぐらいかもしれませんが、私たちも、後悔してきました。
人生とは後悔がつきもの、つまり、失敗がつきまとうものです(災害にあった人はそうではありません)。
それなら、失敗をどう乗りこえたかが自分の人生そのものと言えるのです。
少し僻みっぽく言えば、2代目、3代目がささいなことで躓くのは失敗に慣れていないからです(ダイエーが飛ぶ鳥を落とす勢いのころ、創業者の中内功は、息子に全権を渡すための準備として錚々たる者を息子のまわりに置きましたが、結局使いこなせませんでした)。
その伝で行けば、創業社長でも、創業以来事業がうまくいきすぎると、2代目、3代目のようになるかもしれません(多分私もです)。
失敗をどう捉え、どう乗りこえるかが人生です(「成功したことなど自分の人生に入れるな」と誰も聞いていないところで叫んでみたくなります)。
親の仇(かたき)のように、失敗した事業で成功しなくてもいいのです。別の事業でもいいですし、勤め人になってもいいのです。
5年、10年して後悔しなかったらいいのです。それも、失敗したことの後悔ではなく、その後どう生きてきたかについての後悔です。
また、後悔するなと言っても、後悔するものです。後悔の念が浮かんだときに、それを打ち消すだけの努力をしていれば、後悔の念は、負け犬のように尻尾を巻いて、心のどこかに逃げていきます。
私も、「赤っ恥の生活はもうごめん」と何かあれば思います。
「谷深ければ山高し」ですが、景色を楽しみながらではないと山道は登りきれないことは
確かなようです。