団塊の世代ビジネス(3)

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復活ノート

「団塊の世代ビジネス」(3)
「団塊の世代ビジネス」は、これぐらいにしておこうと思っていましたが、先週、母親がなくなり、父親が介護施設に入所していますので、「喪主」としてやるべきことをやったのですが、ちょっと新しいビジネスを考えましたので、今回も、それについて書くことにします。
2年間、入院中の母親を、ほぼ毎日見ていましたので、人間は意識のレベルが落ちてくると、生と死の間で生きているように感じました。
ところが、別の施設に入所している86歳の父親を、週1回見にいっていますが、本人は、ものすごく落ちこむことがあります。
施設のスタッフから様子を聞くと、どうやら「死ぬのが恐い」と言うことがあるようです。
人は、年老いていくと、つれあいや友だちなどと別れるのは避けがたく、一人孤独の道を進むようになります。
私たち「団塊の世代」も、自分の親が衰え、消えていくのを見ると、次は、自分がそういう道を進むということをひしひし実感します。
ここに、老年を迎える「団塊の世代」の力量がいりますし、それをサポートするビジネスもあるように思います。
年をとっても、仕事や趣味などで、楽しい老後を過ごせればいいのですが、病気にでもなれば、また話が変わってきます。しかし、大多数の日本人は、正月や葬式には、神や仏に近づきますが、普段は、「無信心」な生活をしています。
中には、神を信じることは、情けないことだと思う人もいます。
「死んだら終わり。それが、さっぱりしていい。外国では、宗教という名の下(もと)で、毎日のように殺しあいをしているじゃないか」という声も聞こえてきます。
そういうことは、あとから考えるとして、宗教を、「生きるための装置」と考えて、世界の宗教を教えるビジネスです。
多分、私たちの年になれば、「神なんかいない」と思っていても、「神がいてほしい」という気持ちもわいてきていると思います。
昔の人以上に長生きすれば、昔の人が経験しなかった病気になるでしょうし、昔の人が知らなかった心の不具合にもかかるでしょう。
しかし、大多数の者は、そういう育て方をされていないので、「拠りどころ」がないのです。
私たち「団塊の世代」は、あと10年で、自分の勝負がつくと思っています。
宗教の基本を学ぶことによって、自分らしい人生を完結させることができるということを、ビジネスの根底におけば、多くの人が支持すると思います。