分析
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復活ノート
「分析」
群馬大学医学部の医療事故は衝撃的です。本人は群馬大学出身のベテランのようですが、報告書には、技術は稚拙で、「まるで血の海の中で手術をしているようなものだ」となっているようです。
しかも、本人は肝臓の専門家ではないとなれば、本人の責任だけでなく(刑事事件に発展しそうですが)、組織はどうなっているだと聞きたくなります。
私も心臓弁膜症の疑いがあると言われていますので、他人事ではありません。いざというときのために、日頃から医学番組で名医を探しておいたほうがいいかもしれません。
そうか!「無病息災」より、「一病息災」のほうが健康で長生きできると言われるのは、一つぐらい病気があるほうが、健康に気をつけるからうまくいくということですが、病気があるほうが医者を探すテクニックがつくというのが最新の解釈かもしれませんね。
とにかく、8人もの犠牲者を出した医者は(報告書には、医療ミスと断定しています)は、降圧的な態度で手術を強行したそうですが、医者としての自分をどう思っているでしょうか。あるいは、元々医者になりたかったのでしょうか。
社会的な地位のある人が糾弾されるようなことを起こした場合、「下衆(げす)のかんぐり」でしょうが、いつもそうようなことを考えます。
私をはじめ、私の身近にいるものは、みんな平々凡々の人生を送っているので、夢が叶ったものは皆無だからです(かなり強引に話を進めれば)。
それこそ親が医者や大企業の経営者などの場合は、それに逆らうほうがむずかしいでしょうが、一般的には、何か夢をもっていても、自分の能力や努力、親の資金などのハードルを越えることは至難のことです(逆に、夢がそれを越えるほどの強さではなかったとも言えます)。
とにかく、「夢は必ず叶う」などという言葉を何万回と聞かされてくると、自分を責めたくなります。
しかし、ここで大人の対応を見せることも大事です。「夢は必ず叶う」のなら、自分はどうしてそれができなかったのか分析することです。
私の場合は、子供のときから人に(教師や大人に)聞くことが苦手だったのです。
伝承料理研究家として名高い奥村彪生(あやお)は、大学中退後、土井勝料理学校に行ったのですが、料理の作り方について、「どうして、醤油を先に入れるのか」とか「なぜ野菜をそう切るのか」などと講師がいやがるほど聞いたようです。
それで、料理に精通し、料理研究家としてやっていこうと決めたと言います。
私の場合は、高慢ちきでありましたが、「いちびり」でしたので、そこをクリアすれば、人生がちがっていたかなと思いますが、今からでも、軌道修正は手遅れじゃないはずです。
現在の私たちの状況は、自分の夢に向かっていたが、立ち止まざるをえなくなった、あるいは、あきらめざるをえなくなったと言えるでしょう。
なぜそうなったかをしっかり分析できれば、道はできるはずです。さあ、がんばりましょう。