久米の仙人(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「久米の仙人」(2)
子供のときは、みんな空を飛ぶヒーローにあこがれるもんや。
ぼくも、「月光仮面」や「まぼろし探偵」より、宇宙から飛んでくる「遊星王子」が好きやった。女の子を誘拐した悪もんをやっつける「遊星王子」の活躍にはドキドキした。
そして、梅宮辰夫の白いタイツに浮かびあがる、あの「もっこり」にもドキドキしたもんや、小学生やったけど。
話を元に戻すと、飛行機も何もないときに、久米の仙人が生まれたんやから、昔の人も、空を飛ぶことにあこがれとったんやな。でも、それは神業やから、あと、空を飛ぶのは、神の化身の天狗ぐらいやった。
ところで、久米の仙人は、神通力をなくしたあと、その娘と結婚したんやで。
いまは、「やっちゃった婚」やったか、ちごうた「できちゃった婚」とかゆうやろ。責任感が少しは感じられるけど、しぶしぶやな。久米の仙人は、空を飛べんようになったけど、一目ぼれの娘と夫婦(めおと)になれて、しあわせやった。娘のほうも、愛があれば、空なんか飛べんでもええわゆうてた(子供がおったかどうか知らん。仲がええほど子供がでけへんとかゆうしな)。とにかく、久米の仙人も、落ちた甲斐があったゆうもんや。
最近は修行が足らんようで、空を飛んでいる人を見たことがないけど(今暑いから、夜飛んで夜景を楽しんでいるかもしれんな)、「空を飛んでいるような気持ちです」ゆう人がいる。学問やスポーツ、芸能で長年の苦労が実ったり、事業で成功したり、夢のような気持ちになっている人や。
せやけど、突然、ドスンと落ちる人がいる。どこかの娘のふくらはぎどころか、太ももにもものたらんようになって、スカートの中をのぞいたり、未成年に言いよったりと、「見える」どころか、「見る」ために、我を忘れやようや。
どこぞの経済学者、どこぞの歌舞伎役者、どこぞの芸人、どこぞの自動車メーカーのアメリカ支社長、自衛隊員、役人、警察、教師・・・みんな、自分なりの修行をして、「空を飛んでいるような」人生を送っていたのに。
4,5日前の新聞に、南米のベネズエラやったかコロンビアやったか、交通事故の半分近くは、若い女の子を見た脇見運転が原因やと書いてあった。男の言い分は、ベッピンを見るのが男のエチケットやからしゃあないとゆうことらしい。さすがラテン民族はちがうな。
日本では、若い娘が、街角にすわって、タバコ吸うたり、ケータイしたりしていると、パンツが見えているやろ。通りすがりのおっさんは、「パンツゆうたら、アレやないか」(なんのこっちゃ)と、頭が「ちょちょもうて」、空を飛ぶのに集中でけんようになって、アスファルトに激突してしまう。
あれは、「見せパン」ゆう下品なもんと自分を納得させられへんかった。まだ、そっちの修行がたらんかったようや。あ~あ、こんなん、もう書きたくないけど、もう一回だけ。