ご主人様(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ご主人様」(1)
前から気になっていたんやけど、「社会」と、「世間」、「世の中」は、どうちがうのやろか。
ぼくの考えでは、「社会」では、法律さえ守っといたらええのやけど、「世間」では、「世間体が悪い」ゆわれるし、「世の中」では、「それで、世の中に通じると思うか」とゆわれる場所やろな。しかも、「世間」や「世の中」は、「よそゆきの服」(古いか)を着ていかんでもええ近所、家庭までを指す。
ここで、恒例の夏目漱石の「草枕」を出すわ。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ・・・」
年取るほど、処世について、これほど簡潔に書いてある文章を見たことない。さすが漱石やと思う。ただし、漱石の登場人物は、だあれも仕事してへん。引きこもりの元祖や。「世間」や「世の中」のうっとうしさがわかっていたからやろか。
確かに、コンビニやスーパーで、レジに並ぶ客が増えてきたから、閉鎖していたレジを開けて、「お待ちの方、どうぞ」と、店員がゆうことあるやろ。そうしたら、最後のほうに並んでいた客が、サッと走る。なんで、「次の方どうぞ」ゆうて、2番目の客を呼ばんねん。そこで、これはおかしいゆう「「智」を使って、サッと走っていった客に、「おまえ、あつかましいことをするな。後ろに並べ」、それから店長を呼んで、「そもそも客商売をなんと心得とる」とゆいたいときがある。そんなこと、ほんまにやったら、ものすごい「角」が立つやろな(もっとも、こっちは、「智」を働かせて、前のおばちゃんの買い物の量を見てレジを選んだのにとゆう腹立たしさがあるだけやけどな)。
また、なじみのホステスから、「今月あかんねん。ちょっと『同伴』(出勤)して」とゆわれて、「情」に流されたら、何回も頼まれるようになる(「情けは人のためならず」の意味は?とゆうのが、クイズ番組の定番やけど、鼻の下の長い客にとっては、同伴なんかしてやっても、本人が努力せえへんようになるから、「本人のためにならへん」とゆう意味やと、自分の財布を開けて、思うてしまうやろな)。
「意地」もなんぼでもある。この前、母親の葬式出したんやけど、香典なんかもろたら、あとでたいへんやから、やめとこ思うたけど、「田舎は、『つきあいが命』やから、あほなことするな」と親戚にゆわれた。「意地」を張ったら、一生ゆわれると、田舎のやり方に従うことにした(案の定、「初七日」や「四十九日」はしゃあないとして、香典返しや供え物の返しでふらふらや。
せやけど、短気を起こして、「世間」や「世の中」は、アホばっかりや。こんなやつらとまともに話ができるかとか、警察がなかったら、あんなやつ、えらいめに合わせたるのに。せやけど、ほんまになかったら、こっちがやられるから、我慢しとこかてなもんやろ。
まあ、大人やから、腹で、何思うてても、「こんにちわ。えらい涼しゅうなりました」と、「世間」や「世の中」を渡っていくわけや。
そして、「草枕」は、「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。・・・人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい・・・あれば人でなしの国へ行くばかりだ。」と来る。ところが、最近は、「人でなしの国」に行かんでも、近所に、「ええ国」ができたらしいな。
ぎょうさんな若い娘が、かわいいコスチュームをつけて、「ご主人様、お帰りなさいませ」と迎えてくれる。