シーラじいさん見聞録
その後も出ていく者は後を絶たなかった。
見回り人も少なくなったので、第二門は数人だけにして、全員交代で第一門を警戒することになった。
訓練生は、リゲルが言っていたように、見回り人の部隊に入ることになった。もう訓練生ではなくなったのだ。
しかし、緊張感は、訓練生のときとは比較にならないほどの強さだった。
ボスが見回っているとはいえ、一時も油断してはいけないからだ。
漆黒の海の向こうからクラーケンの部下がこちらを窺っているかも知れないのだ。
どんな動きも見逃してならない。そしそんなことをしたら、取りかえしのできない事態になってしまうと思うと、体が硬直するのがわかった。
「海の中の海」を出ていく影を目の端で感じても、そちらに気を取られないようにして前方を凝視した。
幹部も、第一門から離れることはなかった。そして、部下を鼓舞しつづけた。
「もしやつらがあらわれたら、後方に知らせる者以外は、全員門の前出ろ。そして、合図で、全員でやつらにぶつかれ。執拗な抵抗で根負けさせるのだ」
「海の中の海」にいる長老や医者、負傷者などは、幹部の指示どおりに狭い場所を探した。
改革委員会のメンバーは、シーラじいさんとともに、偵察に行っている見回り人からもたらされる情報の分析を続けていた。
改革委員会は、出ていった者から激しく批判されたようだ。
関係のない者の言うことを聞くおまえたちのせいでこんなことになったというのだ。だから、おれたちは出ていかなければならない。
しかし、シーラじいさんは、そんなことはない。確かにわしは非力であることは認めるが、「新しい酒は新しき皮袋に盛れ」というニンゲンの言葉を説明した。
クラーケンが、わしらの世界に出てきたのは、何か大きな変化を感じたからだ。
やつらは、もともと海のどこかの世界に住んでいて、わしらの前に姿をあらわすことはなかった。
かつてわしらの祖先が経験した地殻変動などを知覚する能力をもっているかもしれない。
しかし、何もないかもしれない。すべてが杞憂ですむかもしれない。しかし、何かあったときはどうするのだ。
地殻変動でも隕石の衝突でも、何か起きれば、この地球に生きている者は、たとえニンゲンでも、ほとんどの者が死にたえる。
しかし、生き抜こうとする意思は、祖先からの思いを継ぐことだ。
シーラじいさんは、また、幹部の要請で第一門にいる見回り人に話をすることもあった。
その都度、最新の情報について報告した。
とうとうニンゲンの潜水艦がクラーケンの部下を攻撃したことを告げると、見回り人の顔に緊張が走った。
部下が潜水艦の背後に回ったとき、それを見つけた他の潜水艦が、部下に何かを発射したというのだ。
見回り人は、ただならぬ音を感知して、そこに来ていたのだ。そして、今まで聞いたことにない激しい音がしたかと思うと、クラーケンの部下の体は粉々にちぎれた。
しかし、部下は頭だけになった体で、潜水艦に向っていった。潜水艦は、一気に浮上した。
部下が、とうとう力つきて沈んでいくのを見た。部下の同僚らしき者が数頭来たので、見回り人は急いで帰ってきた。
「それなら、クラーケンはここへ来るのですか」誰かが聞いた。
「偵察隊からの情報をもう少し分析しなければわからんが、その後の報告では、今のところクラーケンが逃げたということを聞かない。
しかし、いつまでもあの城塞にはおれないじゃろ」
「もしやつらがここに来たらどう戦えばいいのですか」
「なんとしてもここで阻止しなければならない」
「弱点といえるものはありますか」
「相手の大きなことを逆手に取るしかない」
見回り人話をしている間にも、出ていく者がいた。
「ボスは、なぜ出ていってもいいとおっしゃったのですか」
「ボスは、誰でも自分が耐えられる限度があると言っていた。
それはそうじゃろな。この海には、おまえたちよりはるか小さい者から、ボスのように大きな者までいる。
小さな者が、大きな者に対等に立ちむかうことはできない。自分の種に備わった能力だけでなく、その者の性格にもよる。
だから、恐怖にとらわれた者がいては、ここが全滅する。それより、どこかで『海の中の海』の理念を伝えてくれたほうがいいと考えたのじゃ。
そして、食料のためとはいえ、なかなかここに来れなかったことを後悔していた」
「どういうことですか」
「ボスは、みんなのために、このあたりの食料を奪わないようにと気を使っていたようじゃな。
ボスは、ここに残ったおまえたちを高く評価している。おまえたちのために、命をかけるとも言っていた」
幹部は、退役した見回り人を呼びよせることにした。
後方にいる者を支援するためと、見回り人に、今までの経験を伝えるためだ。
急を聞いて駆けつけた者は、100頭以上はいた。
順番に幹部から感謝の言葉を受けると、すぐに配置に着いた。
交代をして後方に下がるとき、オリオンが挨拶すると、「若いの、よく残ってくれたな。
おまえのことは、わしらでも評判になっておる。子供らは、足手まといになるからと反対したが、義をみてせざるは勇なきなりじゃからな。
相手が、そんなに大きければ、こっちは数で勝負をするのじゃ。命ぐらい惜しいことはないぞ」と意気軒昂に言う者もいた。
そのとき、「来ちゃった」という声が聞こえた。