技術(2)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「技術」(2)
コンピューター関係なんかは、若いもんのほうが、すぐれているやろ。そんなもん、ぼくらのときはなかったからな。それを使う商売とか、それを煙幕や隠れみのにして、M&Aとかもな。とにかく、職人は、自分が教えてもらってきたこと、自分が作ってきたしてきたことを、後輩に伝えると、生きてきてよかった、苦労してきた甲斐があったと思うのんやろな。ぼくみたいに、なんにもでけへんもんは、わからへんとこや。
冒険物語では、おじいさんが、暖炉の横で、自分の冒険(海賊をやっつけたり、鯨をおいかけたり)を、孫に語るところから始めるのが多いやろ。
「おじいちゃん、それからどうしたの?」、「うむ、わしは、ナイフを口にくわえて、海に飛びこんだのじゃ」てなことをゆいたいが、そんな恐いことしてこんこんかったもんな。
せやけど、子供ゆうもんは、自分の親は、ヒーローと思いたいもんや。
父親が嫌いになるのは、最初からやなくて、期待を裏切られたからやと思うけど、どうや?
自分の父親が、退屈な人生を送っているように見えてしもうたら、子供は離れていくような気がする。これは、父親を抜いたろと思う思春期の感情とはちがう。
何にも教えるものなんかあれへんと思うている貴兄におかれましても、今までの人生の節々には、いろいろあったことでしょう。そこには、「生きる技術」があったはずや。
60才まで生きたら、誰でも、「博士号」取るぐらいの知識はあるとゆう人ともいるから、「人生学」の博士やな。
ぼくらの親が、あんまりぼくらにゆわんかったのは、兵隊に行ったからやと思う。
この世のものとは思えん経験を味わってきている。
ぼくの父親も、ほとんどゆわへんかったけど、訓練で、雪の中へ素っ裸で放りだされたこと、フィリピンで、村人を捕まえてきて、度胸試しで、耳を切れと命令されたことは聞いたな。兵隊は、徹底的に自尊心を痛めつけられてきたんや。
ぼくらの人生は、そんなひどくなかったけど、ぼくらの子供と、少しちがうはずや。「同級生を蹴おとせ」、「死ぬまでがんばれ」とゆわれてきた。今とはちがうゆうて、自分の子供に、何にもゆわへんのは、あかんような気がする。生きることは、いっしょや。
これから、家族だけでなく、ぼくら自身にも、いろいろなことが起きるやろ。
それらを、どう乗りきるかとゆう「生きる技術」を見せるところは多いはずや。
たとえば、娘が、友だちや彼、上司の誰かを、「ええ人や」ゆうと心配になってくる。
どこが、ええと思うねんと聞いたほうがええのんとちがうか。ええ人の「奥」には、下心があるもんな、自分の経験では。もっとも、どいつもこいつも嫌いやゆうのも心配やけどな。せやけど、プロ野球の山内や中西コーチのように、教えすぎても、けむたがられるかもしれん。
生きることは、山に登るようなもんや。少しでも高いとこのほうが、大きい物の陰に隠れているもんが、だんだん見えるようになる。それを、どう教えるかも、「技術」やろな。