代償(2)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「代償」(2)
前回、どんなこと書いとったかなあ?
「きみが、『多感症』で、今まで、ぎょうさん代償を払ってきたゆうとったなあ」
そうや、ぼくのストライクゾーンが広うて、えらい目に会うてきた。あほ、何ゆわすねん!「多感症」やなくて、「多汗症」やろ。
要するに、誰かに恥かかすと、こっちが汗かかんとあかんようになるとゆうことや。
代償を求めるほうには、レベルがある。「謝ってもうたら、それでええ」から、「おのれ、生かしておくべきか」というのまである。
西武ライオンズの松坂が流行(はやら)らした「リベンジ」や、「仕返し」、「復讐」など、いろいろある。
そして、代償を払ってもらうために、えらい苦労をしたのが、忠臣蔵やろ。
何が原因かわからへんらしいけど(接待役は、2回目やから、「賄賂(わいろ)をせんかったから、吉良上野介が教えないので怒った」ゆうのはおかしい)、気の短い殿さんのために、家来は苦労した。討ち入りの理由も、ほんまのとこ、ようわからんらしいな。純粋な忠義やなくて、武士道ゆう代償ゲームらしい。大石内蔵助の親戚のほとんども反対した。
最近やったら、「小泉なにがし」(小沢一郎の表現)が、郵政大臣のとき、役人に恥をかかされたので、郵便局をぶっこわしたると代償を求めた(とゆわれている)。選挙には、8百億円かかるらしいから、莫大な税金使うた「意趣返し」や。そうやなかったら、郵便局ゆう貸主をさわる前に、借りるほうをなんとかするのが当たり前やろ。
スポーツの場合は、リベンジのために、苦しい練習に耐えて、栄光をつかむことができるけど、普通の人間が、代償を求めるときは、よっぽどしっかりせんと、「うらみつらみ」に、足をとられて、つまらん人間になるおそれがある。
40年以上前に、おじいさんの葬式のことを思い出すわ。葬式のときは、近所の人が手伝ってくれた。そして、葬式が終わり、父が、近所の人に、「皆さん、ご苦労様でした。どうぞ、食事でも」となると、近所の長が、「今日の葬式は何や。世間が笑ろてるで」と怒る。
家族や親戚は、「えらいすんまへん。これからも、仲間に入れてくれやす」と謝る。
ぼくは、小学生やったから、何で、葬式のときに、怒るねんと思うたけど、これは、ある種の儀式やと、大人になって、気がついた。
つまり、「いつまでも、めそめそするなよ。わしらがついているから、早う元気出しなはれ」と励ますために、わざと怒らしたわけや。
昔は、世間には、家族を怒らして、負けてなるものかとゆう気持ちを、生きるエネルギーにする仕組みが存在した。
今は、そんなもんはないから、「こいつだけは絶対許さん」とゆう気持ちを、自分でコントロールしていかんとあかん。ストレスがたまるはずや。