「仕掛け」あるいはムーズ的国家論
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「仕掛け」あるいはムーズ的国家論
世界には、中国語や英語のように、何億人と使う言葉から、何百人しか分らん言葉もある(よう知らんけど)。
人間は、アフリカ大陸から、ユーラシア大陸、北米、南米と進んで行くうちに、落ち着いたところ、落ち着いたところで言葉ができたんやろな。
あるところでは、「鹿は、ピョンピョン走るから、「ピョンタン」とゆおか」とか、違うところでは、「デーと出てきて、ルと止まるから、ゼールと呼ぼうや」(「落語のツル」か)とゆうようになったんやろ。
だから、「言葉ちゅうもんは、絶対的なもんやあらへん」と、英語、いや、日本語(国語)も勉強せんでもええ口実を、中学生のとき考えた。
ところで、国ゆうもんはどうやろ。これも、住んだところ、住んだところを、「ここから、ここまでは、わしのもんや」となって国ができたんやろな。
それが、国家の成り立ちとゆわれているもんや。それについては、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」など、何万冊の書物が書かれている。
ハワイなんか、つい、100年ほど前、カメハメハ王家がつぶれると、パイナップルを作っていたドールとゆうアメリカ人が、アメリカ軍と結託して、一晩で、ハワイを併合した。
日本も、60年前までは、満州、台湾、タイ、インドネシアは、わしのもんやとゆうていた。
その前は、スペイン・ポルトガルからはじまって、イギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパの国が、アジアの領土の取りあっていた。ようするに、国ゆうても、早いもん勝ちで取った結果だけやろ。
今は、国をどう治めるかだけで、どうとったかは問題になれへん。だから、もめるところがいっぱいある。
人間にとって、国は、絶対的なもんか。仕掛け(組織)の一つと考えるときがきたんと違うか。
今考えられるのは、ローマ帝国みたいに、世界を、ひとつの国にしてしまうか、国以外の仕掛けを作るかしかないで。
国を守るとゆうことで、どこかが、核を使こうたら、人間は終わりやで。ロシアからは、核が、どんどん盗まれているとゆうし。
持っている国が、持っていない国に、作ったらあかん、持ったらあかんゆうても、説得力はない。国を守るために、人間が滅びてもええのんか。
この際、日本は、民営化でうるさいことやから、いっそ、国を民営化したらどうやろ。
考えられるのは、トヨタか。まちごうても、ライブドアはあかんで。「敵対的MアンドA」で、どこかの国を合併しようとしたら、話がややこしくなる。
次の地球の主人公とゆわれているゴキブリが、人間がいなくなるのを待っているからな。