仕事(1)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「仕事」(1)
NHKの「のど自慢大会」は、大昔からある番組やけど、ぼくが、子供のときは、親が、昼飯や昼寝をしながら、この番組を見ているときは、せみを取っていた。
今は、暇があると、見るようになった。ところで、夜中の2時ごろから、予選の様子を、長々とテレビで放送しているときがある。あれは、おもろいで。みんな一生懸命で、涙がでるわ(最近は、ぼくの生活が変わったから、見られへんけど)。
とにかく、最近、気がついたことがある。老若男女が盛り上がる歌がないな。「南国土佐を後にして」や「高校三年生」のみたいなのがなくなった(古いか)。ゲスト歌手には「よいしょ」するけど。
もう一つは、地元の若者の仕事や。かなりの割合で、介護関係をしている。「地元に、2年前に帰ってきて、今、おじいさん、おばあさんの世話をしています!」、「ヘルパーでがんばっています~」などとゆうてる。要するに、都会で、仕事がでけんようになったんやろけど、地元の勤め口がすくないんやろな。
昔、介護保険を作るとき、20万人ぐらい必要なヘルパーは、失業者に、資格取らしたらおわりやとゆう意見が多かった。何でも、向き不向きがある。特に、介護は、資格だけででけん。本人や家族の気持ちを汲みとっていく仕事やから。
ところで、「ニート」ゆうて、仕事をせんし、やる気もない若いもんが増えている。
仕事は、スポーツ選手や宇宙飛行士まで、何ぼでもあるけど、自分にあった仕事がないからとゆうてるけど、要するに、自分で決められへんだけやろな。
そうゆえば、ぼくら団塊の世代も、就職すると、社会に屈服するとゆう思いがあった。わざと1単位を残すか、(大学)院にいくかした。ぼくは前者だった。これが、世にゆう「モラトリアム」や(自慢するようなことやないけどな)。単なる「さぼり」やとゆわれた。
ぼくらは、観念して、高度成長を支えたわけやけど、できるなら、仕事などしたくなかった。
ぼくらの子供にあたる「ニート」は、仕事だけでなく、何にもしたくない。だから、自殺サイトに群がる。若年労働力が少なくなったから、仕事の面から注目されているだけや。乳児がいるのに、死ぬ仲間を探す若い主婦がいるけど、ニートと根は一緒や。
自分の好きなようにしたらええと育ててきた、ぼくらの責任や。つまり、「好きなように生きろ」とは、「勝手に生きろ」になる。そら、経験がないのやから、仕事も結婚も、二の足を踏むわな。子供には、任したらええことと、任したらあかんことがあるのを教えるべきや。
「お父ちゃんの経験では、この道には、落とし穴か毒蛇がいる。悪いことゆわへんから、こっちの道へ行き」とゆうてこんかった。
だから、「ニート」には、仕事、仕事とゆうのではなく、人の話を聞いて、それと、自分の考えを、どう処理するかということを、気長にさせるべきや。ほったらかしの代償や。