シーラじいさん見聞録

   

今まで意識を失っていたとは思えない声だった。
「おっほっほ。坊や、元気だねえ」ウミヘビの老婆は、しゃがれた声で叫んだ。
「オリオン、無事だったか」シーラじいさんも声を張りあげた。
「シーラじいさん、今クジラって言いましたか」
「いや言ってないぞ」
「でも、クジラっていう言葉が聞こえたのです」
「クジラってなんだい?」ウミヘビの老婆は、ぐっと頭をもたげた。
「今、話をしていた『大きなもの』の名前だよ。そうか。おまえは、意識を失っていたのに、『大きなもの』をクジラとわかったんだな」
シーラじいさんは、ウミヘビの老婆に説明したかと思うと、すぐにオリオンに声をかけた。
「へえ、あれは、クジラというのか。名前とは便利なもんだなあ」ウミヘビの老婆は、感心したように言った。
オリオンは、そのとき初めて誰かいることに気がついた。
その姿にぎょっとしたようだったが、「あなたは誰ですか」というように、ウミヘビの老婆をじっと見た。
ウミヘビの老婆は、先が三つに分かれている舌をぺろぺろ出して、「いや、わたしは通りがかっただけだよ」と慌てて言った。
「オリオン、この方が、おまえを助けてくだすったんだよ」シーラじいさんは、ウミヘビの老婆を紹介した。
「そうでしたか。ありがとうございます」オリオンは、ていねいに頭を下げた。
「わたしは、こんなに聡明な坊やを見たことないよ。助けた甲斐があったというもんじゃ」
ウミヘビの老婆は、感心したようにつぶやいた。
「よく通りがかってくださった」シーラじいさんは、あらためて礼を言った。
「いや、お告げがあったんじゃ」ウミヘビの老婆は、急に厳かに言った。
「お告げ?」
「そうじゃ。大きな災厄が近づいている。この方向に進むと、難渋している者がいる。
それを助けるのだ。そうすれば、その者が、災厄から守ってくれるであろうという声が、どこからか聞こえてきた。
わたしは、さっそくお告げが教えた方向に向った。何日も何日も進んだが、それらしき者に出会わない。
方向をまちがったかと思い始めたとき、あいつが、誰かに巻きついているのが見えた。
わたしは、誰が捕まっているのか見たが、小さな坊やだった。
もうすぐ災厄が来るというのに、こんな坊やが私たちを救ってくれるのかと迷っている間にも、坊やが苦しくなっていくのがわかった。
それで、急いで、あいつのくちばしに毒を放ったのじゃ」
「うむ、でも、どんな災厄が来るというのだ?」シーラじいさんは、つぶやくように言った。
「それはわからない。でも、昔ばあさんから聞いたことがあるが、お告げがあるのは、転地がひっくりかえるようなことが起きるときのようじゃ。
そのばあさんも、自分のばあさんから聞いた話では、お告げあった後、わたしらが住んでいたところがなくなったそうじゃ」
「そんなことが起きるのですか」オリオンは叫んだ。
「どんどん小さくなっていって、ほとんどのものが死んでしまったという話じゃ。
お告げを信じた者が、勇気を持った者を見つけて、その者とともに、生まれ故郷を捨てた。今生きているものは、信じた者の子孫なのだ」
「今度も、そんなことになるのでしょうか」オリオンは、さらに聞いた。
「わたしらは、勇気を持った者についていくだけだ」
「それじゃ、オリオンが災厄から救ってくれる者というわけか」シーラじいさんは尋ねた。
「お告げどおりなら、そうじゃ」
「オリオンは、確かに勇気がある。しかし、大きな傷を負っている」シーラじいさんは、悲しそうに頭を振った。
「えっ」オリオンは、びっくりしたように叫んだ。
「ぼくは、どうなったの?」
シーラじいさんは、それには答えないで、「オリオン、どうして、あんなやつに捕まったんだ?」と聞いた。
「ぼくが泳いでいると、あいつがいたんです。じっとしているので、どうしたんだと声をかけると、ちょっとこっちへ来てくれというように合図をしたので、近づくと、一気にぼくに襲いかかってきました。
ぼくは、逃げようとしても、あいつの足が体にどんどん食いこんできて、その後全くおぼえていません」
「やつは、いつもは、ずっと下のほうにいるのだが、腹が減って上がってきたと見える。
でも、坊やは、あれだけの苦しみに耐えたのだから、『こんなこと』など何でもないだろう。
わたしは、早速みんなに勇気がある者が見つかったことを知らせるとしよう」
そういうが早いか、ウミヘビの老婆は体をくねらせて去っていった。
そのとき、海の中から、無数の泡がわいてきた。そして、何か聞こえてきた。近くを通りかかっていた魚が、あわてて逃げた。
シーラじいさんとオリオンが耳を澄ませると、朗々とした声が響いた。

悪しき者堕ちて、闇空を覆い
また海割れ、地動くことありき
泣きさけび、行きまどう者多し
神、それを見て、救いの道を教えしがと嘆く
光明を探す者に幸いあるかな
光明を探す者に幸いあるかな

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