心の形

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~                  

「心の形」
「彼の心がわからへん」とお嘆きのお嬢さん、心配せんでもええよ。本人もわかってへんから。これ慰めになってへんか。
それぐらい心ゆうもんは、持ち主でもわかりにくいもんや。
2000年ほど前、ローマ帝国のポンペイゆう街が、ヴェスビオス火山の噴火で灰に覆われたことは、有名やろ。
去年、大阪で掘り出したもんを展示していたから見たけど、当時の貴族の家や工芸品が陳列されていた。もちろん、よく写真に出ている人間(?)もあった。
この前、NHKで、「ローマ帝国の盛衰」を特集していたけど、まだ掘り起こしているんやな。
最近は、壁に残されている落書きなども解読されているらしい。酒屋の「つけ」や人の悪口もリアルやな。紙がなかったので、壁にほっているのがよかったんや。
出てきた人間の素性もほとんどわかっているんやてな。地主の家族が、最後は、みんな、一部屋に集まっているのや、恋人が手をつないで倒れているのや、貴族の主人が、女の小間使いの所へ、昼日中、行っていたのもばっちりや。うらやましがってるのか。その頃は、奴隷に、何してもよかったんやで。今、身におぼえのある人は、近所に火山がないか調べときや。
とにかく、人間が、火山灰でかたまってしまっているやろ。中が空洞やから、石膏を流し込めば、元の人間の姿が出てくるねん。
それを、テレビで見ていたら、心ゆうもんも、そうでけたら、ええなあと思っただけや。
落語家の桂枝雀も、最後まで、心について悩んでいた。
「笑いは、緊張の緩和」と定義(?)したり、落語の「オチ」を分類したりしてたけど、それも、自分の心が、ようわからんかったんとちがうか。枝雀の落語には、いつも大笑いしていたけど、心根をしゃべっているのを聞くのは切なかった。
「根が暗くても、いつもニコニコしていたら、性格が変わりまっしゃろ」とか、「ほんまは、こうでありたいのに、もう一つの自分が、向こうの線路を汽車に乗って行くんですわ」とかゆうてたな。
「なんですか?お嬢さん、忙しいのに、しょうもない話せんといてってか」
「ぼくらみたいな年になっても自分の心わからへんねん」
どうやら、心は、水みたいなもんで、まわりのものに入って、すぐに、その形になってしまうんやな。せやから、不安になる人もいるんやろか。
だから、心ゆうもんは、その持ち主の言葉や表情に表れていると思うのがええ。そのかわり、その言葉や表情をよう見んとあかん。
ところで、ぼくの心の形、知りたい人おりまへんか(くどいとるんか)。

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