100才の主張
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「100才の主張」
今日は忙しいところ、介護施設「地獄の沙汰」にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
みなさん元気で、きょうび、「死ぬまで生きてやろう」という人ばかりですので、100才ぐらいではめずらしくございませんが、私たち「慌てない乞食の会」は、とりあえず切りがいい100才の方のお話をお聞きしようと企画しました。
誰かの話が何かの参考になれば望外の喜びでありますが、元々互いに時間つぶしですから、途中お帰りになってもお眠りになってもかまいません(講演者はなかなかすばらしいことをお話されていますが、話しぶりがだらだらしていますので、この報告書では主な内容だけを取りあげています)。
それでは、まず高松空さん100才です。元祖キラキラネームで、「スカイ」と読むそうです。よく我慢されてきましたね。それではどうぞ。
―――人生においてわしらの前に立ちふさがるのは自分という壁だと思います。
こいつが行く手の邪魔をする。しかし、それは自分自身であるから他人には恥ずかしくて言えない。だから、苦しくなる。最後には淋しくなる。つまり、淋しさをどう処理するかが人生を決める。
次は山田甚之助です。今は2682年ですが、今は流行の名前ですね。名前のことばかり言うのはなんですが。
―――おれは何回も失敗してきた。失敗に慣れてきて、「今度はどんな失敗をするのだろうか」と楽しみになったぐらいだ。
それから得たことは「この世には絶対ということがない」ということだ。
たとえば、誰しも金持ちになりたいと思う。しかし、他人も羨む金持ちでも、本人はまだまだだと思っているかもしれない。
逆にほとんど財産がなくても満足な人がいるだろう。
それなら、見方を変えてみると、金のある幸福と不幸。また、ない幸福と不幸もあるわけだ。
それをつきつめていくと、「幸福である幸せ」、「不幸である幸せ」の二つがあるように思う。
おれの感想では、「不幸である幸せ」の方が楽しみがいがあると思うがどうだろうか。
含蓄のある言葉ですね。100才のみなさんがここまで哲学的であるとは思いもしませんでした。人は見かけではありませんね。
さて、次はダンディな春日聡さんです。若いお嫁さんといつも一緒におられるそうです。お話を聞きましょう。
―――わしは妻を70過ぎになくして90で再婚した。その時のプロポーズは、「スマホには眼鏡必要です。私にはあなたが必要です」だった。
我ながら上出来だった。だから、60才の女性を射止めることができたのだ。
つまり、自分の気持ちと相手の気持ちをうまくミックスした言葉だったからだ。もちろん心がこもっていなければならないが。
これは人生をうまくやるためのコツである。誰でも人間関係で悩んできたはずである。そんなときは冷静になってお互いが納得できることを考えなければならない。
つまり、自分の主張も譲歩も入れて答えを出す。それで相手も納得するし、気持ちよく生きることができる。
妻とは、この10年喧嘩をしながらもうまくいっている。もちろん、愛想を尽かされたときに言うことも考えている。
今度は山田カトリーヌさんです。お父さんがフランス人とお聞きしています。
さあ、どんなお話でしょうか。楽しみです。
―――長生きする秘訣ね。それはストレスをためないことよ。つまり、自分の気持ちを出してしまうこと。それ以外にはないわね。
私は仲がいい友だちの悪口も言うわよ。ただし、パソコンにね。
でも、いつ死んでも大丈夫。死亡アプリを入れているから。
死亡アプリを知らないの。私が何カ月もパスワードを入れないと書いたものが削除されるアプリよ。
旅行でも何でも準備がうまくいったら成功まちがいなしよ。この先何が待っているかしら。
今度は田宮嘉一さんです。みんなのまとめ役です。まとめてもらいましょう。
―――いくつになっても夢をもたなければなりません。私も夢を持っています。
しかし、いつまでも行きたいという愚かな夢ではありません。
私の夢は毎月が偶数月だったらいいなあという夢です。
なぜかって?毎月年金が入るからだよ。てへ。
これはすごいですね。お聞きのみなさんがお帰りになろうとしません。それではもう一回報告しましょう。