今年のまとめ、あるいは今年のお言葉
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「今年のまとめ、あるいは今年のお言葉」
通天閣近くの飲み屋で一人飲っていたら、向こうのテーブルから、「リラ、リラ」と聞こえてきた。
こんなとこにも外国人が来ているのかいなと声のほうに振りかえると、向こうのテーブルに、ぼくぐらいのおっさん、おばはんが4,5人いたが、そこから聞こえてきたようや。
まだ、「リラ、リラ」ゆうている。最近若いもんが脱法ハーブとか危険ハーブとかゆうもんを吸うてラリっているけど、こんな年になっても、そんなことをしとるんかいな、それにしても、公衆の面前でそんなことをようゆうなと、耳をダンボのようにして、いやいや、耳をダンボの耳のようにして聞いているとどうもちがうようや。
トルコの金利がどうのこうの、トルコの経済成長率がどうのこうのとみんなでしゃべっている。なんや、トルコの通貨リラのことやった。みんなで株の話をしていたんや。
そうゆえば、神戸の「そごう」の前で信号待ちをしていたら、隣にいたおばはん二人が、目の前に「シティ銀行」があるのがわかって、「この銀行はあかんわ。今度個人部門を売却するそうやけど、いつもアメリカに送金しているので、担当者に、『売却されるそうですが、新しい送金方法を教えてほしい』と頼むと、『今おっしゃられたようなことで、そこのことはわかりません』とけんもほろろや。愛想もくそもない。ほんまにむかつくわ」、「そうやで。わたしもな・・・」と」とたいへんな剣幕や。
さらに、北浜の目医者の待合室では、老夫婦が、「手術の日は、この前買うた介護マンションに泊まったらええがな。食事も出るし、電車も乗り換えなしで来られるやろ」とか話している。
世間のとしよりは、やることはちゃんとやって年を取っているのや。ぼくのように、調子に乗って船やヘリコプターの学校に行ったりして、金も時間もあほな使い方してへんのや。若いとき株の学校へ行っときゃよかった(今行っても、資金がないからな)。
せやけど、事業が思うように行っていたとしても、人格に難があるから、資金の工面は辛いし、人使いもうまくいかへんから、ストレスはすごかったやろ(それと、毎日の外食で小脳梗塞になったもんな)。
生活も変って、血圧の薬は飲んでいるけど、今は上が130もない(100のときもある)。会社をたたんで、ええことも多いのや。昔、やくざの親分をやめて、タイかどこかでぼんさんになった人のことをテレビで見たが、会社を息子に譲って、すっぱりと事業から手を引く人も少ない(ほとんどが、会長になって会社をうろつく)。
自分でブレーキをかけて、方向転換をするのはむずかしい。ごちゃごちゃ起きて会社が続けられなくなったのは、今になってはよかったんや。
まあ、「1日1童話」が生きがいなんてゆうとしよりはそうおらんやろ。
この前、イオンでおもろいことがあった。30代ぐらいの夫婦と子供3,4人の家族がいてな。父親が近くの店に向かうと、子供と母親がついていった。
2才ぐらいの女の子が、店の買物カートにすわっていたが、その子だけが取りのこされた。
子供もカートも忘れていってしもうたで。追いかけようかと思うたとき、その子が、「わたしも連れていって」と大きな声で叫んだ。
せやけど、泣いたりパニック起こしたりしてへん。ただ、用事をゆうように、「わたしも連れていって」とゆうたんや。
気がついた母親は、照れ笑いをしながら戻ってくると、女の子を抱きあげると、ごめん、ごめんとほっぺたにチューしていた。
栴檀(せんだん)は双葉より芳し、や。もう会うことはないやろけど、会ってもわからんやけど、みんなを引っぱっていく女性になるんやないか。
ぼくの場合は、母親が病気で家におらんかったからか、毎日泣いていたな。性格は変わらんやろけど、この年で泣いていては笑われる。もうひとふんばりして、「連れていって」とゆわれるようにならんと。
ええもん食べて元気にならんとはじまらん。何をてか。これしかないでしょ。マメよ。マメ、マメ。あっ、混んできた。そろそろ帰ろ。