拝啓六十五の君へ

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「拝啓六十五の君へ」
♪拝啓 この手紙を読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう♪
アンジェラ・アキのこの歌を聴くと涙が出る。せやけど、最初聴いたとき、「拝啓十五の君へ」といいながら、十五の自分が悩みをゆうているから、どうなっているんやと思うた。
歌詞をゆっくり読むと、「十五のぼく」と「未来のぼく」の文通をしていることが分かった。
それなら、「拝啓」の返しは「拝復」やないかと、なんぼでもケチをつけることができるが、この歌を聴くと、「パブロフの犬」みたいに必ず涙が出るとゆうことは、歌とゆうのは屁理屈を越えるもんなんやろな。
そうやなあ、15才は、自分とゆうもんが、自分の目の前に出てくる年代や。ぼくも、自分ほど賢いもんはいないと意味もなく思うていたが、どうもそうではないらしいことが分かった。
それからは、僻(ひが)み、妬(ねた)みの人生や。これではあかんと25才のとき脱サラした。金儲けしたら性格は変わるやろとがんばったら思いのほかうまくいった。
変人とゆわれつづけてきたが、やったらやれるんやと自信がついた。
そんな絶頂期、田舎に帰って、何気なく中学や高校のアルバムを見ていたら、胸が苦しくなって、一晩眠れなくなった。
とにかく、人と距離を置く性格やったけど、しかし、それは自分が望むことやなかった。それでか、全員丸坊主のクラスのもんを見ていると、何か歯痒いような、悔しいような気がしてしゃあなかった。
「中学でも高校でも、ぼくが一番成功したんや。こいつらはたいしたことない」と思うようにしても、やっぱり昔を思いだしたくない(つまり、二度とアルバムを見たくない)。それほど、15才前後は、自分が出来上がる時期なんやと思う。
それから、いろいろあったけど、今年65才になった。相変わらず友だちはいない。
「友だちいない歴65年」やから、今友だちができたら落ちつかんやろな。毎日メールでもして、「今日も友だちかどうか」確認するのやろか。それはせわしないから、1週間に1回か。それとも、1ヵ月に1回か、半年か。1年か。そんなこともわからん。
そんなことゆうて、ほんまは友だちがほしいのとちがうか(あわよくば女の)てか。最近、スマホをはじめたのも、それが目的か。
ちがう、ちがう。娘らと無料電話をするためや。安いSIMが出てきたので、端末をアマゾンで買うただけや。
パソコンは30年以上やっているので操作はわかる。せやけど、娘らとは、電話せんと、トークゆうメールばっかりしている。
しかも、フェイスブック、ツィッター、ゲーム、歌なども、こっちからブロックしているからあんまりスマホは使わん(そのかわり、入っているアプリを全部空で言える)。
それなら、「六五のぼく」の悩みは何やろ?
やることはやっているから、悩みなんてもんはない(今さら、目ぃがよくなるようにゆうてもしゃあない)。
「未来のぼく」から返事もうても、今のぼくとそう状況はかわらん(今死んだら、「今のぼく」と「未来のぼく」が同じ年令や。当然やけど)。
せやけど、強いて言えば、友だちは落ちつかんけど、世間話をする知りあいはほしいかな。
早速、「未来のぼく」から、「拝啓六五の君へ」とゆう手紙が来た(ぼくから手紙を出してへんから、「拝啓」は正しいか)。
「わしかて、いつ死ぬかわからんので、他人のことなんか考えとられん」やて。
不整脈が治ったのに、未来にまた出るんか。それにしても、「過去の自分」を他人やと思うている。何ちゅうじじいや。ひょっとして未来にはボケるのやろか。
♪ああ 負けないで、泣かないで 消えてしまいそうな時は 自分の声を信じ歩けばいいの♪
歌では、「未来のぼく」がやさしく励ましてくれたのに、現実は冷たいもんや。
せやけど、お互い高齢者やから仕方がない。それなら、どこかの「高齢者相談コーナー」へ行ったほうが早いか。

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