いちびり
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「いちびり」
この前、近所にあるアウトレットに行って、孫の服でもないかと探していたら、中国人の団体がフードコートの外のテーブルで楽しそうに話していた(多分、神戸ツアーのコースに入っとるのやろ)。
チラッとよう見ると(ぼくの得意技やけど)、口がぐっと飛びだして、3Dみたいな顔のおばちゃんが、身振り手振りを交えてしゃべっていて、他の5,6人がそれを聞いて大笑いしとるんや。
何ゆうとんのかわからんで。「雨の降る日は天気が悪い」ゆうとんのか、「目は人間の眼(まなこ)なり」ゆうとんのか、「北は北海道からミナミはナンバまで」ゆうとんのか、「それをしたいのはマウンテン、マウンテンやけど」ゆうとんのか、「「ヨーカンは、よーかんで食べや」ゆうとんのかしらんで(もうええか)。
とにかく楽しそうやった。言葉がわかったら、横のテーブルで聞きたいぐらいやった。
アウトレットの横にあるイオンには、毎日行っている。買いもんの前には(ほとんど「前」や。魚の割引は何時にはじまるかわかっているからな。ただ、火曜日と「はつ~か、さんじゅにち」にはフェイントをかけられるから、時々見に行かんとあかん。ただし、特売日は、業者にとっては碌なもんがない)。
とにかく、時間調整のときは、3階の「ミスド」に行く。ドーナッツなんか腹が膨らまへんやろと思うのはシロートの「赤坂の夜は更けて」や。
「100円券」でドーナッツを一つ買い、コーヒーを飲む。このコーヒーがファストフードとしてはうまい。しかも、コーヒーのお代わりは無料やから、3杯は飲むことにしている(つまり、100円で、コーヒー3杯以上にドーナッツがついてくるのや)。
そこで、一人で、自分の来し方行く末を振りかえったり、金の段取りをしたり、「一日一童話」を自分に課しているから、それを考えたりしているわけや。
ぼくも、あの中国人のおばちゃんのように、「いちびり」で「調子もん」やけど、一人ではどうにもならん。
一人でいたら、しょうもないことを考える。10日前、「セルフスタンド」で、「プリペイド」に入金するために、ブースに入った。しばらくすると、ドアが開いているような気がしたので、振り返ると、40前後の女が足でドアを止めていた。
出るときに、「そんなことしたらあかんやないか」とゆうと、えらい怒りだしてな、「どこにあかんと書いてあるねん。どうたら、こうたら」と巻き舌ですごんできた。
「マナーを守れ」とゆうても、まだエライ剣幕や。これはフツーの人間やないわと思うて、車に乗りこもうとすると、「こらっ、くそじじい、車から出てこい」と来た(生まれてはじめて、「くそじじい」とゆわれた(頭に血ぃが上っているのに、よく見ているのね)。
同乗していた介護の専門家が、「よう我慢しましたな。あんたみたいなごっついおっさんに毒づいてくるのは尋常やおまへんやろ。あれは、境界型ですな」と説明してくれた。
境界型は、精神病と神経症の中間で、愛情不足のためか、自己愛が強く、自分が否定されたと感じると烈火のごとく怒るらしい。それで、しょっちゅうトラブルを起こすんやて。しかも、病院に行くのをいやがるというのや。話には聞いていたけど、まさか、ぼくに来るとはと思わなかった。
その3日後、ボクシングの徳山が、会社の近くのガソリンスタンドで、スタッフをどついた(ぼくも、もう少しで逮捕されるとこやった)。
せやけど、思いだすと、むかむかする。こんな時は、いちびりたいなあ。あの中国人のおばちゃんのように、いちびりたいなあ。
「君子 危うきに 近寄らず」が「復活の哲学」と決めている。「危うき」は人間なんやけど、人間がおらんことには、復活はでけんしなあ。
それなら、人間の仕草を見て、人間を選ぶことにしようか。
たとえば、「笑点」の司会者・桂歌丸が、女学生や侍のかつらを脱ぐとき、残り少ない髪の毛の乱れを気にして、ちょん、ちょんと抑えるときのしぐさがいとおしい。また、「しょこたん」がアニソンを歌うとき、リズムを取るためか、首を左右に振るのがかわいい。
そんな仕草をする人間を、ぼくのまわりで見つけたら、最高のいちびりができるような気がする。