今年のお言葉
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「今年のお言葉」
今年もそろそろ終わりやな。1月1日から365日目を迎えようとしているだけやと強がっているもんほど、この時期になると、尻に火がつくのやないか。銀行強盗をしたり、鬱(うつ)になったりするのも、「同じ穴のむじな」かもしれんで。
人間の値打ちは、日頃何やかやゆうていても、年末や晩年など、最後の言動で決まるわけや。
しかしながら、年末や晩年は、一人の人間に取って、年に1回か80年に1回しかないから(ぼくは、その晩年に入っているけど)、尻に火がついたときの言動を調べたらわかる。
せやけど、今年印象的な言葉はなかったな。
テキトーなもんを、ムーズの神に捧げても、「なめとんかい!」とゆわれそうや。それで、今年は「該当作なし」と決めた。
なんでやろ?この数年大きなことがいろいろあったので、みんな言葉を失ったのか。あるいは、スマホでコミュニケーションをするようになったので、通りすがりのおっさんの耳に入る機会が減ったのか(昔なら、電車の中で、若いサラリーマンが、ケータイで、「パパでちゅ。もうすぐ帰りまちゅ」としゃべっているのが聞こえて、乗客は笑顔になったもんやけど)。
来年は、ムーズの神に仕える巫女の仕事をクビにならんように努力をするわ。
ただし、テレビで聞いたのは一つあった。富永愛の「もう少し待とうよ」や。
二股か三股が話題になったとき、芸能レポーターに、「たいへんでしたね。次の人は見つかりましたか?」と聞かれたとき、「聞きたい?もう少し待とうよ」と答えていた。
恥ずかしいことやのに、どうや、この余裕は(「辛いことに負けない女」とゆうイメージが上がったやろ)。
まだ30そこそこのようやけど、さすが世界で仕事をしてきただけのことはある。
それなら、相手の男のほうが上¥手(うわて)か(ぼくもそんな男になりたいもんや)。
とにかく、どんなときも余裕を忘れんこっちゃな(テレビで泣くもんを見るとしらける)。
とにかく、余裕がないと、進む道が見つけにくし、自分を客観的に見る言葉が出てこんわけや。
若いタレントが、ガンなどにかかると、「どうするんやろ」と見ているけど、テレビのこっち側にいるぼくらにもふりかかるかもしれんで。
今まで小脳梗塞、胃潰瘍、白内障とゆわれてきたけど、ガンはなかった。せやけど、脳梗塞や心筋梗塞は一瞬やで(30代、40代で後遺症がある人をよう見る)。
そのときのために、日頃から余裕を持つ練習しときや。
ぼくも、耳の後ろから出る加齢臭を「シニアフレグランス」と言いはり、二つの部分入れ歯を「マウスピース」と勘違いして、ボクサーのように戦うつもりや。
二つ目の部分入れ歯は案外ショックやった(でも、これがあると、ミノもナマコも食べられるしなあ)。
そして、ポリデントだけやのうて、歯磨きで磨けとわれた。夜中、口から取りだした部分を入れ歯を洗うていると、シュールな気分になる(こんなとこ、孫にも見られると、「見たな~」とゆわんとしゃあない)。
来年は、シュールなぼくに期待してちょうだい。みんなも、おもろい言葉を頼んまっせ~。
それではよいお年を。