SAY少々納言(2)

      2017/11/04

「SAY少々納言」(2)
コツコツ、コツコツと、腹減りたる鶏が餌をついばむかのような音したれば、ケータイを弄したる先ほどの老婆、この度は手にもちたる容器にさじを打ちつけ、何物かを口に運ぶ音なり。確かヨーグルトとゆうものをなれば、残りたるものを一分も残さじといふ形相は誠に浅ましきものなり。己の食欲を満たすのに頭いっぱいなれば、傍の者があきれかえるを知ってゑじ。もしその無作法を注意されることあらば、「お宅に何か迷惑かけた?」などと逆切れすることまちがいなし。
欠伸(あくび)しても手でおおわず、それを見た者を涙目で睨みかえす女も多し。
この世は無作法がはびこり、無知蒙昧の森に紛れこんだごとし。
最近裏金の存在が明らかになりたる政治家も、「わたくしはあ~、天地神明に誓ってえ~、法律にい~、背くような行為は~、一切しておりません」などと弁明したるが、その腹の中では、「おれを捕まえてみろ。日本は大損失だぞ。経済だ、米軍基地だとたいへんなんだろ」と開きなおり、「これは商取引。誰か損をしたというのだ。日本をよくするためには金がいる」と自らに言い訳をするものなり。
事程左様に、無作法の影には言い訳あるものにて、ヨーグルト老婆も、「もったいないからそうしているんや。みんなエコ、エコゆうているやないか」とうそぶき、欠伸女も、「ほっといんてか。こっちは、昼も夜もパートに行って、子供の塾代を稼いでいるんや。もっとも、夕べはDSを夜中の3時までしていたけどな」と聞く耳持たずなり。
また、テレビから流れる企業の広告音楽も、安易に馴染みの童謡などに自らの商品名を入れるもの多し。
「フニクリ・フニクラ」が世界最初の広告音楽と聞き及ぶが、その心意気を忘れることなかれ。
葬儀屋も、「  家葬儀会場」とゆう看板に苗字だけ書きて、電柱などに立てかけるのもいと憎きものなり。
それぞれの言い訳も、「別に著作権法に違反してないじゃん。制作費を抑えられているからさ」とか、「こっちは忙しくしているんだ。わかりゃいいんだよ」とならむ。
小説家と称する者も、生半可な人生訓を垂れながして本やテープを売りつけていること多し。
僧籍ある女流小説家は、「皆さん、私の話はとてもおもしろいといってくださいます」などとしたり顔をするも、陰では、無償にて世話をする者に、「あなたたちのせいでうまくいかなかったじゃない!」とすぐにヒステリーを起すやうなり。
また、世間は、形さえ整えば事足れりとばかりに、電車の車掌やデパートの店員に、意味もなく頭を下げさせているのは愚かなり。
生来心根が卑しき者少なし。ただ、心は頑迷なれば、自らの心に言い訳して、納めやすくしたるならぬ。コツコツと叩くは、ヨーグルトの容器ならず、己の心かも知れず。

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