土手の花
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「土手の花」
ぼくにとって、日曜日は文字通り「書き入れ時」や。毎日山のように文章が溜まるから、それを整理したり、メルマガを送ったりと、朝から15,6時間パソコン相手や(日頃も4,5時間しているけど)。
それがほんまに楽しいわ。5、6前までは、若い女が相手やった(もちろん金を使うて)。
金もなくなり、ぼくも女も年を取る。ただ春の夜の夢のごとし、や。
でも、これがうまくいったら、また遊ぼ。どんなときでも、楽しみを見つけんとやっておれまへんがな。
とゆうわけで、今日もがんばろうとパソコンの前にすわると、チャリン、チャリンとゆう音が聞こえる。そして、独特のにおいがしてくる。
ああ、ああ、またこのシーズンかと思うとぞっとしてくる。
そうや、誰かが草刈機で草を刈っている音や。家のまわりの草は自分の責任やし、公の場所は近所総出でする。
田舎では草ぼうぼうやったら笑いもんになる(おばあちゃんは、今頃朝4時ぐらいに起きて草取りをしていた)。
田舎に誰も住んでいない家を持っている人は多いやろ。ぼくもそうやけども、ほっておくと、隣の人から、「おまえんとこの草が伸びて、近所から蚊がわくゆうて苦情が出ているぞ」と電話が来る。
そんな電話がかかる前に、次の日曜日(楽しみは少なくなるけど)、長男と草取りに帰ってきた。
せやけど、大きな草を抜いたけど、埒があかんのでシルバーサービスを頼むことにした。
「立夏」、「小満」になると、天地(あまつち)のものすべての命が燃えるときやもん、しゃあないか。
少しは安心して、会社の前の土手を見ると、ところどころ白や黄色の花が咲いている。
そこだけ刈らんとおいてあるのや。雑草なんか皆殺しにしたるとゆう殺意を感じていたぼくはへなへなとなった。なんやぼくが捨てた犬を誰かがかわいがってくれているような気がしたんや。
昭和天皇は、「雑草などとゆう草はない」とゆうたけど、確かにどんな草も名前はあるはずやから、雑草も、インフルエンザウイルスでもちゃんと名前を呼んでもらっているのに思うているやろか(もっとも、ウイルスも、「A型H1N1」みたいに邪魔くさそうにつけんと、もうちょうと粋な名前をつけてほしいと思うているやろけど)。
ところで、ぼくが、多少羽振りがよいときでも、せっかく咲いている花を残そうとゆう心根があったやろか考えるようになった。
「英検があるんやったら、漢検はどうやろ」と考えたパン屋の主人も、「月の飲み代は300万円や」と豪語していて殺された地主も、「金儲けは悪いことですか」と開きなおった投資家も、決算報告書を改ざんして金を集めたIT事業家も、金に振りまわされた人生のような気がする。
「金はなんぼあっても困らん」とゆうけど、当てはまる人とそうでない人がいるんちがうやろか。
金がなくてきゅうきゅうとしているくせに、金儲けの指南などしているぼくがゆうのもなんやけど、「金はいらんもん」と思うほうが幸せかも知れんな。
そこで、「野の花 さんぽ図鑑」とゆう本を読もうと思うたけど、2520円もする。
悩んだあげく、来月の誕生日に、これを子供にプレゼントしてもらうことに決めた。
金がないと、チエが出てくる。