シーラじいさん見聞録
その場にいたスタッフは、オリオンの意識が戻らないだけでなく、出血がひどかったので、もはや助からないかもしれないと思った。
とにかく海洋研究所に戻されることになった。その間に、研究所に所属している獣医師だけでなく、海軍の研究員、近隣の大学の動物学者も集められた。
オリオンが、研究所の研究室に運ばれたとき、みんな息を飲んだ。
背びれがないから、檻にぶつかった衝撃が背中全体を傷つけていたのだ。出血だけでなく、内出血もひどく、皮膚は紫色になっていた。とりあえず傷の治療が行われたが、心拍数はもう20を切りはじめていた。
海洋哺乳類は、深く潜るときは20を切るのだが、水圧がほとんどないような状況で、この数字は危険な値だった。
オリオンを治療するスタッフは焦った。「何回も激しく天井にぶつかっている。どうしてそんなことをしたんだろう?」誰かが聞いた。
「クラーケンが来たのだろうか?」
「しかし、そういう証拠はない。たとえクラーケンが来たとしても、オリオンの知能は高いから、もし脱出しても、そこにクラーケンがまっていることぐらいわかっているはずだ」
「それなら、自分の意思で逃げようとしたのか」
「ぼくは、オリオンが機器を壊そうとしたからじゃないかと思うんだ」別のスタッフが言った。
「そうかもしれない!」
「彼はとても賢い。自分の声で仲間が来ることを避けたかったんだ」
「それで、背中をぶつけて、機器をつぶそうとしたのか」
「確かにすぐにつぶれた。オリオンはなんてやさしいんだ!」
「頭が致命傷にならければいいが」
しかしながら、状況はさらに悪くなった、ほとんどの獣医師が絶望的な見解を述べた。
「もう回復はむずかしい、生きているうちに解剖したほうが多くのことがわかる」という意見が出てきた。
海洋研究所の所長に判断が委ねられた。所長は熟慮した。そして、仲間を守ろうとする行為は、どこかの国が訓練をしたとしても、それは、オリオンという個性の性格としか考えられないと思うようになった。
オリオンに「死」与えるのことはしたくなかった。それで、たとえ「植物状態」になったとしても、それまでは最善を尽くすことを決めた。
状況は変わらなかったが、心拍数や脳波が急激に下がらなくなっていたのは唯一の救いであった。
その翌日の早朝、研究所にどよめきが起きた。オリオンが、「シーラじいさん」という言葉を発したというのだ。それは録音されており、みんなは耳を近づけて聞いた。
微かな声だが、確かに「シーラじいさん」と言っている。
「まちがいないな」
「でも、シーラじいさんって誰なんだろう?」
「守ろうとした仲間にちがいない」
「シーラカンスじゃないのか」
「シーラカンスは深海でじっとしている魚だし、、ここらにはいないよ」
「仲間がいることは推察されるが、イルカの仲間じゃないのか。シーラカンスがいるとは思えないな」
「でも、クラーケンには、シャチやクジラ、イルカなどがいるらしいじゃないか。本来は、食うか食われるかの関係なのに」
「何が仲間になってもおかしくないか」
「シーラカンスがクラーケンの親玉なら、まるでSF映画のようだが」
「とにかく、異なった種類の生物が行動を共にするようになったのは、コミュニケーション能力が高くなったからだろう」
「それがクラーケンに繋がったのだろうか」
「そして、コミュニケーション能力が高まるにつれて、それぞれの個体の、別の能力も高まったのだ」
「でも、どうして、人間を襲うようになったのだろうか」
「オリオンに聞いてみなくてはわからない」
「なんとかオリオンに助かってもらいたい」
オリオンは、助けを求めるかのように「シーラじいさん」と言ったあとは、また意識が不明になった。
リゲルたちはアイルランドの西100キロメートルぐらいの場所にいた。もう少し南のほうが便利なのだが、クラーケンや、それを追跡するセンスイカンやヘリコプター、クチクカンなどの通り道になっているので、そこを避けたのである。
シーラじいさんは、カモメの先導によって無事にリゲルたちがいる場所に着いた。
再開を喜ぶ暇(いとま)もなく、オリオンの状況が伝えられた。
「どうしたのじゃろ。その後の様子はどうかな?」シーラじいさんは、報告に来てくれた別のカモメに聞いた。
「小鳥たちが必死でオリオンを探していますが、まだわからないようです」
「そんなにひどかったのですか?」リゲルが聞いた。
「はい。気がついたので、やめろ!と何回も叫んだのですが、オリオンは狂ったようにジャンプしては背中を檻にぶつけるのです。
やがて、動かなくなったので、このままでは、オリオンの命が危ない。ニンゲンの助けを求めようと思った矢先に、オリオンの異変に気づいたのか、檻を引いていた船が戻ってきて、すぐに研究所に連れてかえりました」