交渉(3)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

交渉(3)
確かに、誰でも、知らんうちに鼻歌を歌っていることがある。
1人で歩いたり、自転車に乗ったりしている人の歌声が聞こえることもあるし、車の中で、ラジオに合わせているのか体を揺すり口を動かしている人を見ることがある。みんな自然にそうなるんやろな。
また、歌っていると、悩みもどっかへ飛んでいくこともある。
それで、他人を慰めたり、励ましたりする歌の需要があり、産業となる。
「千の風」のようなブームが起きたのもむべなるかなゆうわけや(もっとも、「死んだ人は墓にいてへんそうやから、墓参りに行かんでも、向こうから来てくれる」と横着をかます人も出てきているらしいけど)。
しかし、歌であっても、産業となると、売上げが求められる。しかも、毎年、「右肩上がり」が要求されるようになる。
そうなると、歌とゆう商品がどんどん作られる。歌手にとっては、「あいつ、最近テレビに出てへんな」と言われるのは、頭のどっかで気になるそうな。
それで、何かはやると、そのイメージにすがりついて、おんなじような歌が作られる(2,3年続いた「桜」の歌は、今年も出るような気がする)。
メロディのことはおいとくとして、「創業者利得」で、最初の歌手が、イメージを独り占めしているので、後からの歌は、どこか安っぽい。
それで、杉山清貴、ラブサイケデリコのように、意味のない歌を歌って非難される歌手も出てくる。
ぼくは、「こぶくろ」とかゆう、ホルモンのようなグループの歌詞は苦手や。
「ぼやき漫才」の人生幸朗のように、いちいち取り上げんへんけど、どうもあざといような気がする。
「歌は世につれ・・・」とかゆうけど、世は人が作っているもんやから、「こぶくろ」が人気があるとゆうのは、歌詞は、人の(特に若い人の)気分を反映しているやろ。
男が、女のカバンを持ち、レストランの前で、「ぼくは、きみの好きなものでええよ」とゆう若い世代のBGMと思うと腹が立たへんようになった。
女の歌手は、1人で、「きみを支えるよ」と歌い、男は、グループで、「いつもいっしょにだよ」と歌う時代や。
やっぱり人生幸朗になったから、もうやめる。
女の子との「交渉」はなくなったし、ロマンチックとカルシウムが足らんようになってきた年になっても、交渉事は、まだしばらく続く。
ぼくらのBGMはないから、「交渉」をうまく進めるためには、自分の言葉を磨かんとあかん。そして言葉以上のものもな。

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