交渉(2)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

交渉(2)
ヤクザでも、国家でも、どうみても勝ち目がないと、手前勝手な屁理屈をつけるしかない。金を返せと督促されても、「あれは、『貸してください』やのうて、『貸して、(それから)ください』とゆうたはずや」と開きなおる。
また、自分とこだけ核兵器をもってもええゆう理由はないので、「世界平和を守るために、わしらは核兵器を持つ権利がある。ただし、貧乏国は持たさん」と仲間同士で決める。
暴力も権力もないぼくらにとって、勝ち目がないと、「泣きおとし」しかない。
その天才(その表現の仕方が)、が太宰治やな。
太宰の小説は、自分を卑下したり、うぬぼれたりと、自意識の塊(かたまり)のようやから、みんな若いとき、「太宰病」になる。
それを背景に、「借金を返したいけど返せない。笛を吹けたら、その辛い気持ちを、あなたに伝えることができるのに」てな文章が続く。
借金取りは、「あほくさ。今度返してや」となって、とりあえず急場をしのぐことができる。
「泣きおとし」も、土下座したり、何回もくりかえしたりと、選挙のパフォーマンスで見るような「技術」がいるのやろけど、やっぱり正直な気持ちが肝心や。
「子供は正直」とゆうけれど、なんぼ年取っても、ぼくらも、心の中では正直やと思う(いや、年を取るほど、好きなもんは好き、嫌いなもんは嫌いとなるから、正直度は上がっていくような気がする)。それを隠すか小出しするのが、「分別のある大人」ちゅうもんや評価される。
せやけど、子供のときのように自分の気持ちを全部出して生きられたらどんなに気持ちがええやろと思うことがあるやろ。
この前、大雪が降ったとき、朝早う子供が雪遊びをしていた。
ぼくも、用事で外へ出かけたんやけど、小学1,2年の男の子が、一人で自転車に乗って積もった雪の中を走りまわっていた。すると、大きな声で、「恐い~。でも、楽しい~」と、大きな独り言や。「魂の叫び」ちゅうやつやな。
それは、去年の「ムーズ大賞」受賞の「大型バスに乗ってます~。わたしは、ママと乗ってます~」のように、自然と音楽になって、外に出る場合もある。
音楽のことは、ようわからんけど、「このクラシック音楽は、魂に響く」とゆう人がいるから、聞く人が聞くと、魂まで届く音楽かそうでないかわかるんやな(それは、精子が卵子に届くかどうかゆうようなもんやろか)。
せやけど、毎日、車のラジオから流れてくる音楽にはゆいたいことがある。
なんで、「交渉」ゆうタイトルで音楽のことやとなるかも知れんけど、毎日聞こえてくる音楽は、恋愛の交渉みたいなもんやし、野坂昭如風に言えば、「音楽は前戯」みたいなもんやから、強引にもう1回。

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