移住
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復活ノート
「移住」
今日の朝日新聞(7月3日)朝刊のトップ記事は、今年、就職や進学が未定のまま卒業した大学生が20%いたということです((「新卒」という身分がほしいために留年した者を入れると、30%になるというのです)。
不景気でパイは小さいのに、震災でさらに小さくなります。さらに優秀な外国人学生を取る大企業も多いですから、就職できない、結婚できないという図式は今後も続くことになります。本人にとっても、家族にとっても、社会にとっても由々しきことです。
昔、日本が不況のときは、家族や若者は外国に行きました。移住です(私は、小学2年のときに、家族とともにブラジルに移住した友だちのことを、「田中君を探して」という小説に書きました)。
中国東北部(満州)への移住は侵略行為ですが、それ以前はハワイやブラジルからの要請で、多くの人が夢を抱いて(そうしかできなかったことも多いですが)、日本を後にしたのです(ただ、現地人や奴隷と同じように苦しい肉体労働でした)。
戦後、日本は経済成長をしたので、移住はなくなりましたが、台湾、中国、韓国では、多くの人が、アメリカ、カナダなどへ移住しています。
1850年ごろ、サンフランシスコで新聞記者をしていたマーク・トウェインは、中国人の洗濯屋がアイルランド人に石をぶつけられる事件を取りあげたと自伝に書いていますが、貧しい同士が喧嘩しながらも必死で生きていたのでしょう。
今、外国人を無条件で受けいれてくれる国などありません。ヨーロッパでは(アメリカでも)、不景気になれば、不法労働者、移民を排斥します。
日本に目をやれば、景気のいいときのヘッドハンティングは低調じゃないでしょうか(社長、経営幹部、校長などは少しあるようですが)。
ましてや、特別な技量や経験のない若者は、たとえ大学を出ても、置いてきぼりです。
しかし、地方の商店街や町工場では、後継者(つまり息子)がいないということで廃業する経営者が多いのです。何かもったいないと思いませんか。
若者2人が思いうかびます。どちらも二十歳前で(多分)、私の会社の近くで働いています。
女性は、回転寿司でバイトをしていましたが、最近、大型スーパーのレジをしています。
私自身、その回転寿司に入ったことがないので仕事ぶりを知らないのですが、通勤しているときは恥ずかしそうに自転車に乗っていました。ところが、スーパーのレジでは、笑顔をふりまき、手際も見事です。
男性は、農協の食堂部でバイトをしています。いつも、恥ずかしそうに目をぱちくりしています。
最初は注文をまちがったので注意したことが、1,2月立つと、堂々と対応しています(今、私の漫才の相方です)。
憶測ですが、2人とも学校でいじめられて退学したような雰囲気でしたが、今やすばらしい社会の戦力になったのです。
私が、何か店をするとしたら、あるいは、紹介してくれと頼まれたら、2人以外に考えられません。
そこで、大企業ではなくて、小さな店や町工場などの後継者を探すビジネスはどうですか。
「時間給や給料、ボーナス、休みに自信がないと諦めることはありません。商品やサービスに自信はあるのでしょう?」と経営者に説得するのです。
夢を語る経営者に賛同して、どこへでも移住してくる若者はいるはずです。