シーラじいさん見聞録
こうなった以上、今後どうするか早く結論を出すべきだと思ったのだ。いつまでも遊びのようなことをしていたら、世界を少しでもよくしようとするために、ここまで来た意味がない。
しかし、2,000メートル近い深海は過酷な場所だ。体はようやく慣れてきたが、自由に動きまわることはできない。こうしようと思っても、すぐに思うようにできない。
ここで大きな敵と戦うことは、絶対避けなければならない。もし、ベラが見たという怪物が、クラーケンの部下でなかったら、すぐに「海の中の海」に引きあげよう。オリオンたちも了解ずみだ。
とにかく、何が起こるかわからないが、いや、そうであるからこそ、全員で取りくまなければならない。
暗闇のなかでは何も見ないので、それぞれの能力を結集しなければならない。何かがいることがわかっても、不用意に近づくと、相手の思う壷にはまってしまう。
逃げる距離を確保して、相手の大きさ、動く早さや方向を知るためには、シリウスの嗅覚、ベラの視覚、ペルセウスの俊敏、ミラの豪胆、そして、オリオンの何者も恐れない沈着がいるのだ。
硫化水素は止まっているが、かなり熱い。
その時、大きな声が聞こえた。暗闇を揺るがすような声だった。
「今度はすごい人数でやってきたようだな。前にも言ったが、ここでうろうろしていたら、命がないぞ。
この穴に入りこんで、生きてかえった者はいない。悪いことを言わないから、すぐ帰った、帰った」
「こっちが教えているのに、ちゃんと聞かないもんだから、みんな命を落とすのよ」という声が続いた。それは、女のようだ。それが終らないうちに、「そうよ、そうよ」という声が鳴りひびいた。何百といるようだ。
リゲルたちは、少し下がった。大勢のものが向かってくるようだった。
ペルセウスが、「あれが、穴のまわりにいるやつですよ。大きな声を出すが、まるっきり動けないです。
ここからは、よく見えないでしょうが、男のくせに、真っ白い体をしていて、上半身は赤いです。しかし、女もいるとは思わなかったな。
やつらの下にも、巨大なエビやカニがいっぱいいますよ。やつらは、少しは動けるが、おとなしい連中です」と解説をした。そして、声がした方向に向かって叫んだ。
「穴の中に誰がいるのか知りたいだけですよ」ペルセウスが叫んだ。
「知りたければ、入ればいい。しかし、すぐに腹を見せて浮かんでくるぞ。わっはっはっ」
「でも、大きな者が入ったのを見たんですよ」
「早く立ちされ。もうすぐ毒が出てくるぞ」
「わかっています。しかし、後2分は大丈夫です」
「そんなことも知っているのか?」
「そうです。毒が噴きだしてくれば、あなたたちが、体を揺らして喜ぶのもね」
「勝手にしろ!」
「さっ、引きあげよう。においが強くなった」シリウスが叫んだ。
全員そこを離れ、最初の場所に戻った。
「わたしたちに注意してくれるとは、まるっきり悪い人たちじゃないのね」ベラが言った。
「いろいろ見てきたからだろうからね」シリウスが答えた。
「硫化水素が出てくると、楽しそうだって?」ミラが聞いた。
「食事だからね」ペルセウスが答えた。
「どうしようか」リゲルがみんなに聞いた。
「様子を見にはいりたいな」シリウスが言った。
「しかし、中がどうなっているかわからないから、一番小さいおれが見てくるよ。
怪物と遭遇してもすぐに逃げられるから」ペルセウスが提案した。
しばらくリゲルは考えた。オリオンは、何も言わなかったが、リゲルの気持ちはよくわかった。
「もう少し外から様子を見よう。硫化水素が10分止まるのはまちがいないことはわかったが、中の様子がもう少しわかるほうがいいからね」
「どうして?」ペルセウスが食いさがった。
「もし急激に狭くなっているようだったら、ペルセウスでも危険だからさ。大きな者が入れるのなら、中が広いということがわかる」
ベラは、自分が見たのはクラーケンの部下か、もしくはそれくらいの大きさのものであるということを言いたそうな顔をしたが、リゲルは、かまわずに話しつづけた。
リゲルが言うのでは、ベラが見たのが、クラーケンの部下かどうかあるなしに、巨大なものであることがわかったら、穴の中は硫化水素がない広い場所があるにちがいない。
硫化水素が止まったときに、怪物が急いで入るというのなら、硫化水素を避けているとしか思えないからだ」
「じゃ、そのときは入ればいいんだね?」ペルセウスが聞いた。
「そうだ。一つ心配なのは、クラーケンの部下ぐらい大きくても、硫化水素が危険ではないものであれば、ぼくらには手出しができない。しかし、そんなものが、この世にいるだろうか、オリオン?」リゲルは、オリオンに応援を求めた。
「ぼくらには、酸素というものがいる。だから、ときどき海面に顔を出さなければならない。ペルセウスだって、海水にある酸素を体に入れている。硫化水素は、酸素が体に入らないようにするから、毒なんだ。
クラーケンの部下が、両方で生きることができるなら、ぼくらの世界のものじゃないと思う。
リゲルが言ったように、硫化水素が止まるときしか出入りしないのかどうか確認したほうがいい」全員、リゲルとオリオンの説明に納得した。