ユキ物語(6)
「ユキ物語」(6)
「おれと兄弟だと言っているやつがか?」おれはまたそいつのほうを向いて聞いた。
「そうです。だんだん悪くなっています。最近では声をかけても返事をしないときもあります。ハァハァと苦しそうに息をすると、腹は大きくなったり小さくなったりしますけど、いつ止まるかもわかりません。
なるべくそばにいるようにしていますが、あの弱り方では、いつ死ぬかわからない状態です。
せっかく友だちになったので、あいつに何かしてやれないか考えました。
きみのことを兄弟だと言っていたから、それなら一度会わせてみたら奇跡が起きないかと思ったのです。それで、ここに来てきみに伝えようと決めました」
おれはこいつにわからないようにため息をついた。そして、腹の中で、条理にかなった話だ。そいつもいい友だちをもったものだ。ただ、おれには関係ない話だと思った。
やつはおれの気持ちを悟ったかように、「そうですよね。あなたには迷惑な話かもしれません。
でも、ぼくはあいつが好きなんです。食べものが少ないときは、まずぼくにくれるんです。こんなやつはいないですよ。なんとか元気になってほしいんです」
こんな話を延々とされるのはたまらん。おれは事態を変えるために、「そいつはどこにいるんだ?」と聞いてしまった。
これが事態を悪くした。いや、人生が変わった。そうだ。人生には何げない一言が大きな意味をもつことがある。諸君にも心当りがあるだろう。これがそうだった。
「すぐそこです」そいつはすぐに答えた。
「すぐそこ?」、
「はい。この通りを行って、信号を越してから一つ目の道を左に曲がるとすぐです」
おれはさりげなく信号を見た。散歩はいつも反対に行くからそちらに行ったことはないけど100メートルぐらいに確かに信号が見える。そこを渡って次を左か。
おれが確認しているとき、そいつは、「すぐそこなんです」と繰り返した。
その時おれはまた言わずもがなのことを発してしまった。「それなら顔だけ見に行く。そう時間がないんだ」
「ありがとうございます、案内します」
おれはすぐに後悔した。しかし、これが浮世の義理というものだろう。仕方がない。これでこいつらと縁を切れるなら安いものだ。
おれはそう考えてそいつについていくことにした。途中、おれを見て振り返りながら、何か言っている人間がいたがおれはかまわず進んだ。もうすぐ暗くなる。そうなるとおれに気づく人間はいなくなる。
「あいつはほんとに喜ぶと思います」そいつはやけに余裕を見せておれを見て声をかけてくる。
おれは、「急いでくれ。早く帰らなければならないんだ」と言った。
「わかりました」やつは小走りになった。車が来ないか確認して、赤信号を向こうに渡った。20メートルぐらいで細い道があった。ここを左に行けばすぐということだな。
さらに暗くなって、しかも、人通りが少ない。好都合だ。おれがいなくなったことを知った店員は探すだろうが、まさかおれが散歩コースとちがう道に向かっているとは想像もしないだろう。
灯りが少なくてはっきりわからないが、このあたりは今風の家は少ないようだ。
それが余計におれを不安にする。しかし、やつは進む。「おい。まだか」とおれは聞いた。
すると、「着きました。ここです」と言うと、家と家の隙間に入っていった。
ひどく狭く、おれの体がようやく通るぐらいだ。しかも家の境は板塀のようだ。おれの体は汚れているかもしれない。
そう思っていると、板塀の奥まで行くと、やつはおれを振り返って、「ここに入ってください」と言った。よく見ると板塀の下に穴が開いていた。