ユキ物語(28)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(256)
「ユキ物語」(28)
しばらく行くと、前を行く2頭のシカが同時に止まった。おれも止まった。
しかし、何も聞こえない。シカを見ると、体はじっとしているが、耳は動いている。左右の耳が前を向いたり後ろを向いたりしている。左右別々に動くこともある。これで物音を感じているのだろうか。
山で生きるものにはこういう装置が備わっているのだなと感心した。
しかし、感心している場合じゃない。2頭のシカの耳はさらに激しく動いた。また黒い怪物が襲ってくるのか。おれは緊張した。
そのとき、1頭のシカがおれのそばに来て、「何かいたようですが、離れていきました」と小さな声で言った。
「それはよかった。それじゃ行きましょうか」と言うと、「いや。あなたはここにいてください」と答えた。おれが怪訝な顔をしていると、「仲間の様子を確認します」と言った。
おれは一瞬何のことかと思ったが、昨日襲われた仲間のことだなと思った。
多分無残なことになっているのだろう。それをおれに見せたくないのかもしれない。おれは、「わかりました。待っています」と答えて、体を伏せた。
シカはゆっくり進んだ。そして姿を消した。シカに気づいたのか、鳥が慌てて飛び出す音がする。
しかし、それが止むとまったく音がしなくなった。おれは自分の心臓が動いているのを感じていた。
風が出てきたようだ。遠くで唸るような音がしだした。自分がどこか別の世界に入ったように思った。
ガサガサがした。おれは立ち上がって身構えた。音が近くまで来たとき、シカが戻ってきたのが分かった。
おれが声を発しようとする前に、「ウサギを見つけました」と小さな声で叫んだ。
「いましたか。どこです」おれも小さな声で叫んだ。
「穴に落ちていました」と答えた。
「穴に」
「どうしていますか」
「動いていないようです」
「それじゃ、死んでいるのでしょうか」
「それもわかりません」
「すぐ行きます」おれはあいつがどうなっているのか知りたかった。
シカの後をついてくと、いわゆる獣道(けものみち)から離れた場所に入っていった。
「こんなところに逃げたのか」と思っていると、シカは止まり、ここですと教えるように首を動かした。
穴と言っていたから、おれはゆっくり進んだ。下草がまばらになると砂地が見えた。「ここか」と思って、おれは首を伸ばした。
直径1メートルぐらいの穴があった。ここに落ちるとはよほど運が悪かったのかと思った。
おれはさらに穴に近づいてから、足を踏ん張って体を伸ばした。深さは2メートルぐらいあった。穴の中はまだ光が十分届いてないので薄暗い。
おれは目を細めて中を見た。確かに白いものが見えた。「あれがウサギですか」
おれはシカに聞いた。
「そうです。私たちも何回も確認しました」
おれはもう一度穴の底を見た。体を横にして倒れているのだ。
おれは何度も「大丈夫か~」と叫んだ。しかし、身動きは全くしない。
無理だなと思ったがそれを言わず、「こんなところに穴が開いていたのですね」とシカに言った。
「昔雷が落ちたからでしょう。その証拠にまわりの木には裂けた跡がかなり残っていますし、穴も焦げた跡があります」
すごい推理力だなと感心した。それならばと考えて、「残念ながらあいつは死んでいると思います。私は一人で山を下ります。ありがとうございました」と言った。
2頭のシカはじっとおれを見ていたが、「それでいいのですか」と聞いた。