数字
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「数字」
「名前は?」、「旦那、そんもんおまへんわ」、「それならマイナンバーは?」、「へえ。564*********」
近々こんなことが起きるんやろか。とにかく、「マイナンバー」は、「マイカー」とおんなじように、外国人に突っこまれそうな言葉やけど、それで国民一人一人のことが全部わかるんやて(「振込み詐欺」を企んでいるやつも、今頃、「さあ、書き入れどきや」と張り切っているやろ。「おばあちゃん、お金出してもうたらマイナンバーを変えられまっせ」てか。中国人のことゆわれへんわ)。
人生は数字や。それで一喜一憂して生きる。そんなもん気にせえへんと思うても、社会の中にいるかぎりどうしようもない。
ぼくら団塊世代が、最初に全国希望で順番をつけられたのは「旺文社模試」やった。細長い紙に順番が書いてあった(細長い紙は給与明細書にも使われていた)。
当時の全国一は東京都知事の舛添や(一つ年上やけど)。少し若いけど舛添と結婚していた片山さつきや鳩山邦夫がいつも1番とか2番やったんやて(自分でゆうていた)。
ぼくは何万番目や(同じクラスの女の子が8番目やった。あれには衝撃を受けた。それなら50年立ったが、「人間は頭だけやない」そう思いながら生きてきた。クスン)。
社会に出てからは、その細長い紙に印字してあった給与(年収)。事業をはじめてからは売上げ。車の値段。家の坪数・・・がついてまわった。数えきれへんほどな。
年取ると、体の数値がついてまわる。血圧やコレステロール、血糖値、眼圧などいっぱいある(病気している人はもっとあるんやろな)。
せやけど、体の数値に翻弄されたらあかん。よう変わるからな(それに、個人差もある)。
一喜一憂するのは患者だけやない。医者もや。「柿が赤くなれば医者が青くなる」とゆうけど、数値が変われば、医者は赤くなったり青くなったりする。そこらへんの医者は血圧で食べているからや。正常値が高くなれば患者が減る(薬も減る)。
数年前WHOかどこかが、最高血圧は140が適正とかゆうたら日本で大騒ぎになった。
騒ぎが収まると、また130が高血圧におさまっている。
昔は140ぐらいやったそうやけど、医師会の献金のせいやろ。歯医者の団体も、薬メーカーも「同じ穴のむじな」や(この言葉は、「一見関係ないように見えて、実は同じ企みをしている」とゆう意味やから、最初から丸見えやから、使い方をまちごうているかもしれん)。
最近は薬メーカーだけでなく、アルコール飲料メーカーまでサプリを売っているから、さらに、数字に一喜一憂する企業が増えている(サントリーもネット広告を出しまくっているけど、「値打ち落ちまっせ」とゆいたくなるのがある。「あら、パパ。会社の健康診断で血圧が130超えたのね。だったら、サントリーの何とかを飲んでみたら」血圧ぐらい家で計らんかい。「たかじん」みたいになってもうた)。
最近、週刊誌が、アメリカかどこかの秘密文書に、「血圧は120以上は危険」とあったと書いたので、またいらんこと考えているのがいるかもしれん。
ぼくは、「血圧は、年齢に90を足した値」を頑なに信じている(そうゆう医者もいる)。この前、ある病院に行ったら、医者に、「朝、ジョギングしたら、(高いほうが)100そこそこです」とゆうたら、「運動したら下がるのは当たり前。起きたとき計れ」と抜かしやがった。それで、朝4時30分に起きて計ったら、170とか180あった。
また、「早朝ジョギングは命取り」とイギリスの病院が発表していたが、血圧が下がるし、その日を気持ちよくスタートできるし、ええことばっかりや。
そんなもん、まったく気にしないとゆうたら嘘になる。数字で、社会や他人、自分を判断するのに慣れすぎているからな。
そこに数字のマジックが入りこむ。100年後には日本人は一人になるとかゆうやつ(低い出生率のままなら)。
数字のマジックはもう一つある。優柔不断の人間を誘惑しようとするマジックや。誘惑に負けたほうがその人間に取って気が楽やからや。
数字に弱い人間も案外自分の身を守るかもしれん。やっぱり「何でもそこそこ」が人生の真理か。