過ぎたるは・・・

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「過ぎたるは・・・」
最近、誰かと車に乗っているとき、「見てみ。前の車、三菱の軽や。恥ずかしいやろな」とかゆわへんか。
それが、今度はこっちの番や。信号で止まっているときなんか、「あれ見てみ。スズキの車や。しかも、だいぶ古いで」とゆわれているような気がする。
せやけど、スズキの車は多いから、みんなゆうのに飽きてきたやろと思うと、ちょっと気が楽や。
まあ、ユーザーは悪いことしようとしたわけやないからな(社員や下請けは、生活がかかっているから気の毒や)。
今、日本で一番、「あれ見てみ」とゆわれているのは東京都知事やろな(東京オリオンピックの大将や)。
一般人だけやなくて、親戚からも、「介護の舛添とかゆうているけど、親の介護なんかしたことないし、姉が生活保護を受けようとしたとき、姉の世話も断った」とかゆわれている。
「今日の交通事故数」ならぬ「今日のせこさ数」を全国民が見ているわけや(でも、もう飽きてきた)。
最新の情報では、「第三者」の判定を待つとのことやけど、不利な判定が出たら(そうゆうことはないやろけど)、「国の金など1円もネコババしていません。都(と)の金は少し余分に使ったけど」とゆうと思う。
どう自分を守るかに一生懸命や。最後は高笑いやろ。頭がええからな(ボーナスが400万円、退職金も、任期満了で1億円とか書いてあったから、しがみつくやろな)。
それはそうや。ぼくと同い年では日本一の頭の持ち主やから。別に同じ高校やないし、当時は名前も知らんかったけど、数年前、ネットを見ていたら、「旺文社模試」の一番やったと書いていた。
当時は、全国規模では、「旺文社模試」が一番信頼があったそうな(ぼくは嫌で嫌で仕方がなかった)。
団塊世代で一番なんて、雲の上の人か神様やで(学年はちがうが、同時代には、都知事の元妻の片山さつきとか鳩山兄弟とかが1,2,3番を争っていたんやて。ぼくは、10万桁やったけど)。
そんな頭のええ人が窮地に立たされている。10万桁の人間も、会社をつぶして窮地に立たされている。いっしょや♪いっしょや♪喜んでいる場合か。
向こうは湯河原にものすごい別荘をもっているけど、隠語で「別荘」とゆわれる「刑務所」に入らずにすむにはどうしたららええか頭を使っている。
ぼくは、何かすごいことをして別荘を持とうとしている(自分のことはええてか)。
ぼくがわからんのは、舛添とかアメリカのトランプとか、他人に対してゆうことと、自分がしていることが真逆(まぎゃく。こうゆう言い方は嫌いやけど)なのはどうしてかとゆうことや。
多分、ばれんやろと思うのやろな(トランプも、税金の確定額を発表しないようやし)。そうやないと、もろに逆のことはゆわんやろ(「公私混同は命取り」とか。
頭がええから、自分がしていることはばれへんとゆう自信があるんやな。
「旺文社模試」のトップクラスとその他大勢を比べてみると、「過ぎたるは、なお及ばざる如し」という格言ぴったりや。
この格言は、「がんばりすぎる」とゆうニュアンスがあるから、ほんまはやっていることはええことなんや。
つまり、頭がええと、つい、どんなことでもやりすぎるから、身を亡ぼすとゆうことや。
頭がよくないほうが、先のことはわからへんから、ええことでも、悪いことでも最後までいかへん。でも、もう少し頭がええほうがよかったけどな。
まあ、人生には無数の科目があるから、ここまでやってこれた。自分の頭に乾杯!

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