卒業
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「卒業」
~毎年サントリーの広告で新成人に語った山口瞳風に~
おじさんは、今ある関西のベッドタウンを毎日車で走りまわっているが、最近昼間に、きみたちのような年令の少年や少女が、色鮮やかな服装に身を包み、自転車に乗ったり、街角に集っているのを見ることが多くなった。みんな大きな声で笑ったり話をしたりして、いかにも楽しそうだ。
いつもは夕方学校から帰ると、すぐに塾に行く準備をするようで、表に出ているのはあまり見たことがなかったが。
でも、おじさんはわかっている。きみたちは中学を卒業したのだ。
そして、自分の生涯初めての難事業である高校受験が終ったところだろう。
希望の高校に受かっても、残念ながらそうでなくても、ともかく肩の荷が下りたうれしさが君たちの心を満たしているのにちがいない。
おじさんにも、遠い昔そんなことがあった。おじさんたちのときは、学校や地区で、「茶話会(さわかい)」というのをやってもらった(なつかしい名前!)。
先生や大人は、「これから社会に入っていくので、みんながんばれ」と激励してくれた。
クラスの半分は就職のために地元を離れていく時代だったのだ。
そして、一人一人挨拶をするのだが、とても気恥ずかしかったものだ。
同級生の誰かが、「おれたちは、今中学生でもなく、高校生でもない」と、さも新しいことを発見したかのように叫んだ。まだ高校の入学式を待っているときだったのだ。
そうだ!生まれてはじめて、社会的にどこにも属していない存在になったのだ。たわいもないことだけど、大人に近づいたような気分になったものだ。
その3年後、おじさんは、どこの大学に受からずに浪人することになった。また、どこにも属していない存在になったのだ。
そのときは自分ほど不幸な者はいないと感じたが、実は、浪人する者は全国で何十万人といたのだ(おじさんが生まれたのは、今でこそ「団塊の世代」という名前がついているけど、当時はとにかく子供が多く、おじさんが生まれた100軒ほどの地区でも同級生が男女14人いて、それは全国どこでも同じ状況だった。50人クラスが10組もあったので、何事も競争、競争の時代だった)。
そして、京都で予備校に通うことになった。初めての都会暮らしだった。
当時は京都には市電が走っていて、八坂神社のところで急カーブをするのだが、そのときパンタグラフから、青い火花がバシッ、バシッと出た。あの音と光で、捨てられた子犬のように震えあがった。まるで広い海に一人ぼっちでいるように感じたのだ。
その後も、どこにも属していない気持ちを味わったが、会社をやめて、どうにか事業がうまくいってから、そんな気持ちを久しく味わうことはなかった。
全国にたくさんの社員がいて、どんなことでも叶うように思えた。挙句、この世にはベンツに乗る者と乗れない者がいるなど広言してはばからなかった。
結局、社会の変化についていけず、事業をやめざるをえなくなった。
おじさんは、30年後に、また、どこにも属していない存在になったのだ。
失敗しても、あるいは今成功していても、広い海に一人ぼっちでいるということは忘れないでほしい。
たとえ成功しても、まわりは、はじめての状況になっているからだ。おじさんは、そのことに気づかなかった。
でも、それで、くじけたり、おびえたりしてはいけない。そこには、大きな可能性があるからだ。
最近、ある女優とお笑いタレントが離婚すると話題になっている。お笑いタレントの浮気が原因だという。
つまり、荒海を乗りこえて、女優を手に入れたのに、新しい海に出ると、どうしたらいいのかわからなかったのだろうか(これは、テレビをよく見ているおじさんの冗談)。
親や教師から、フラフラしてと怒られるかもしれないが、それは大きな海に出ていて、どこへ進めばいいのかわからないだけだ。心配することはない、
やりたいことを見つければ、それが一等星になるから、それをめざして進めばいいのだ。
どこにも属していない存在。きみたちが、このことにどう立ちむかうかが君たちの人生を決めると言っておこう。
みんな知っているように、「春」は英語で「スプリング」だ。それはバネでもある。そして、日本語の「春」は、「張る」から来ているとも言われる。
どちらも、新しいものを求めて、心と体にエネルギーが充満していることだ。
時は春。きみたちの人生は今始まるのだ。卒業おめでとう。
おじさんも、広い海を漕ぎだしている。