自然

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「自然」
3,4年使うていたソーラー電波腕時計がおかしくなった。10万年間1秒も狂わへんとゆう謳い文句やのに8000円ぐらいやった(10万年間時刻合わせをせんでもええとはビンボー人にはありがたい代物や。100年間でもええけど)。
それが、日付が進まんようになったと思うていると、いつのまにかそれが直ると、今度は時間があさってのほうを指している(動かん時計でも1日2回は絶対合うのに、これは具合が悪い)。
落語で、「おい、道具屋。おまえのとこで買うた箪笥、100年は大丈夫ゆうていたのに壊れたやないか」と抗議する客に、「ちょうど今日が100年目で」と答えるのがあるけど、この時計も今年が10万年目なんやろな。
光や電波で動かすゆうても(どちらも電磁波とゆうもんらしいけど)、時計そのものは人間が作ったもんやしな(昔、「コンピュータですから、絶対まちがいがありません」とゆうていたのとよう似ている)。
「この世に『燃えないゴミ』なんてもんがあるか?」とゆう上岡龍太郎の理論(屁理屈か)を借りれば、光や電波が属する自然は確かになくならへんもんや。
温暖化だろうが、生物の絶滅だろうが、地球の消滅だろうが、みんな自然の中の一現象や(もっとも、「ゴミはいつかは地球に戻るもんや」ゆうて、そこらへんにほると、カラスの町みたいになるやろけど)。
女が年取ると、ばばシャツ、ばば服を着るようになる(交通事故に会うて、病院で裸にされたとき、ヒラヒラがついた花柄パンツでは、医者も看護婦も笑いでメスやはさみの手元が狂うと困るからな)。
男も、おんなじこっちゃ(「今流行の腰パンや」ゆうても、それ以上上がらんようになっているだけかもわからん)。
要するに、人間の中にも自然があって、同類(老若男女)を見ろよと指令を出しているのかもわからん(人間だけとちごうて、散歩中の犬でも、人や猫にはおとなしくしていても、通りすがりの犬だけに吠える)。
若いもんは他の若いもんが着ているもんが気になるし、としよりも、他のとしよりを「まあ、あんな格好して」と厳しいもんや(数日前、87才の杖をついたオジイが、7、8才の女の子をどこかに連れこもうとしたらしいが、犯罪でもあるが不自然や)。
また、「U字工事」の漫才のように、栃木県が、群馬県や茨城県を意識するのも自然なんやろな(ほんまに島根県と鳥取県は仲が悪い)。
お義父さんから銀座や新地で毎月100万円も飲んでと怒られていた義兄も、孫ができてから変わったようや。
どこにも出かけずに孫中心の生活らしいわ(写真をよう見せられた)。
「孫」ゆう演歌がヒットしたのも、そこらへんに秘密があるのやろか。
ぼくも、まだ若いねーちゃんを見たいと思うていても、最近、としよりと孫がいっしょにいるのに目が行くようになった(若いねーちゃんが少ない町にいることもあるやろけど)。
手なんかつないじゃって、楽しそうに話をしているで。ゲラゲラ笑うたりしている。
ぼくも、子供が4人いて、25才で長男が生まれたから、孫がいても不思議ではないけど、
みんなのんびりしていて、まだいてへん。
数ヶ月前に、次女に子供ができそうになっていたけど、途中であかんかったことがあったけど、それか。
いよいよじいさんかと思うたので、体の中の自然が、「としよりと孫の様子をよう見とけよ」と指令を出したんやろか。
何でも、なるようになるもんや。しばらく自然に反して若いねーちゃんを見とこ。

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