新年の挨拶
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「新年の挨拶」
「この頃、髪の毛が早う伸びてな」てなことをゆうけど、
散髪屋の兄ちゃんにゆわすと、「そんなことは絶対おまへん。どんなことがあっても、1日0.2ミリしか伸びません!」。
そりゃ、そうやな。髪の毛が、突然、ぐんぐん伸びるんやったら、
爪も、そういうことが起きるはずや(爪も、そう感じるときがあるけど)。
漢詩で、「ものすごう悲しゅうて、一晩で頭が真っ白になった」とゆうのがあるけど、
そういうことは、現実にあるらしい。
もっとも、もっと時間がかかるけどな。病気して、白髪だらけになって、退院する人は、ぼくも、よう見てる。
体力が弱ると、頭の毛細血管まで、栄養がいかへんのやな。なんで、こんなことゆうかゆうたら、「一年の計は、元旦にあり」ゆうやろ(元旦とは、1月1日の朝のことやけど)、それで、1日のことを書きたいねん。
1日を終わるときになると、「今日は、あっとゆう間やったな。昼飯食うの忘れてた」とか、「今日は、長いなあ。時計が止まっていたんとちがうか」とか思うことあるやろ。
若い頃は、1日なんか、石ころぐらいにあると思うたもんや。なんぼ蹴っても、次から、次へ現れる・・・。
年を取るとゆうことは、一日が、どんどん重くなっていくとことやないかと思えるわ。
ぼくも、いろいろあったから納得できる。
毎日、病院へ、親を見にいってたら、昨日より、変わってへんかとか、今日は病院から電話がなかってよかったとゆうことになる。
ぼくは、復活を目指す経営者のコンサルタントをしているけど、その人に聞くのは、一日の使い方や感じ方や。
(1)「1日が苦しくて、1週間も苦しい」、(2)「1日が苦しいが、1週間が楽しい」、
(3)「1日が楽しく、1週間も楽しい」とゆうレベルがあると思う。
これかって、自分を客観的に見えるようになってからやけど。
そのためには、ストレスにつかまらんようにすることが前提や。
ぼくがゆうてるのは、1日ででけんことは、明日したらよろしい。2,3日でむりなことは、1週間かけたらよろしい。こう思うと、1年間をうまいこと使える。
もちろん、夢がないとあかんけどな。
50半ばで、「夢をもってる」ゆうたら、遅い子供ができましたゆうような気分で、なんや恥ずかしいけど。
とにかく自分がやりたいことをはっきりさせることやな(これも、ゆっくり時間をかけんとむりや)。
ぼくは、朝起きたら、自分に、「おまえはできる。あとは、段取りだけや」とゆうてるねん。
そして、うまいこといったら、自分をほめることをも忘れないことや。
今は、自分しか味方おらへんから(変な表現やけど)。そうやって、一日のリズムを作ることが必要や。
お前はどうやねんゆわれたら、1日・1週間とゆう時間を、(2)で、時々(3)に感じる。
肝心の夢をゆえ、てか。あかん、もう時間がない。それは、また書くわ。
とにかく、これが、ムーズからの新年の挨拶や。今年もよろしく。