死(3)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

「死」(3)
いつまでも、こんな話をしたくないから、急ぐで。
おしめをする前には、いろんなことを決めなあかんゆうことをゆうた。
完全にぼけてしまったらええのやけど、歩かれへんだけで、恥ずかしい思いをするのは、辛いやろ。まじめに生きてきたことが、最後に自分を苦しめてしまう。コートの下には、下半身丸出しゆう痴漢にならんと、楽しい老後を過ごされへん。
それやったら、「レオン」ゆう雑誌が提唱している「チョイ悪」を見習って、「チョイ変(態)」になろう。
ところで、ヌーディスクラブで、「反応」したら、つまみだされるの知っているか。別に「反応」したところををつまんでやないけど。ぼくの連れがそうなった。ぼくは、「諸般の事情」で、そこへ行かんかったけどな。
年を取ると、目も見えんようになる。こいつが辛いらしい(ぼくも、近視矯正手術をしたおかげで、老眼が進んでいるけど)が、新聞の見出しぐらいしか見えへんのは、ええことや。どうせ、ええおっさんが出会い系に引っかかったとか、母親が育児ノイローゼで、子供をどうのこうのばっかりや。そんなもん詳しく知りたいか。
出会い系は、若いときに、ちゃんと遊んでへん自業自得やし、育児ノイローゼは夫が悪いに決まってる。長者番付も発表せんようになったこともええこっちゃ。心に波風が立たん。俗人は、「人は人、自分は自分」と、なかなか達観でけへん。
これから、同い年のもんが死んでいくと淋しくなるらしいで。この気持ちは、若いもんにはわからんと思う。若いころは、自分が死ぬことなんか信じられへんかったやろ。
ほんまのところ、ぼくも、60近くなって、叔父や従兄弟がなくなって、二親(ふたおや)も、いつどうなるかわからへん状態やなのに、自分が死ぬように思われへん。しかも、4,5年前、脳梗塞していて、今度、梗塞が起きると、障害が起きるか、あの世行きやと、医者にゆわれているのに、ノーテンキなもんや。でも、今、せんとあかんことが多いから、これもええわ。
年取っても、子供がなんとかしてくれるやろと思うのはけっこうやけど、自分が、親にしたことしか、自分の子供からしてもらわれへんで。
ところで、最近、棺おけの中を、ケータイで、写真をとるアホがいるとゆうことや。うかうか死んどられへん。
最近、おばあちゃんのことをよう思い出す。母親が、ずっと入院していたので、おばあちゃんに大きくしてもろた。いつも一緒で、おばあちゃんが、百姓仕事の途中、かがんで、立ちしょんべんしだすと、股ぐらを覗きこんで、「見えてる、みえてる」ゆうて、ようからかった。せやけど、いつも、着物をつかんで、おばあちゃんの後ろに隠れていた。
もう少し遊んで、また、おばあちゃんのとこへ帰ろ。

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