処世術
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「処世術」
昔、オリンピックの水泳で金ベダルを取った中学2年の女の子が、「今まで生きてきた中で一番幸せです」とゆうたことがあったが、最近、東京オリンピックが決まったとき、「今まで生きてきた中で一番幸せです」とゆうた青年がいた。
岩崎恭子は14才で、太田雄貴は27才やそうやから記録を抜いたな。いや、アスリートやから、最年長記録か(岩崎のときは、すごいことやっても。まだ子供やなと思うたけど、今度はどうなんやろ。東京に決まったからか、「ええ年して、何やあのいいかた」と突っこんでいる新聞はなかった)。
今どき100才は珍しくないから、ぼくが120才になったら、「今まで生きてきた中で、何が一番幸せでしたか」ぐらいは聞かれるやろな(もっとも、そのころになると、ええこと、悪いことみんな頭に残ってへんやろけどな)。
その練習でもしよか。64年間生きてきて一番幸せことか。強いて言えば・・・。やっぱりやめとくわ。たいしたことないし、そんなこと、他人が聞いてどうするんやとなるのが名もなき市民の反応やろ。
せやけど、わからへんで。金メダルやノーベル賞をもらった人間がそう聞かれたら、たいていそのことが人生で一番幸せですと答えるはずやと世間が思うように、ぼくの身にも、そんなことが起こるかもしれへん(「70年生きてきて一番幸せです」と叫ぶかもしれん)。
そのためには、生き方を変えんとかん。それで、「処世術についての本」の広告を毎日見ている。
最近そんな本が増えているのには事情がある。「出版不況」が大きな原因やろ(最近はタレント本もない)。
そこで、名が売れている人間に、「混迷の世の中を生きるために」とか何とかでっちあげて、手早く本を書かせているのやろ(ほんまは。今必要なんは詩人なんや。世間は心に届く言葉を待っているのに、その詩人もいない)。
今日も、そんな広告があるで。「七つの習慣」か。世界で3000万部売れたんやて。
なになに。「習慣は私たちの人生に決定的な影響を及ぼす。習慣とは一貫性であり、ときに無意識に行われる行動パターンであり、日々絶えず人格として現れる。その結果、自分自身の効果性の程度がわかる」てか。
妙な日本語やけど、ぼくなりに訳すると、「夢は実現するとゆうけど、そんなことあれへん。100メールを10秒で走りたいと思うても絶対無理。
せやけど、なんかを習慣としたら、それが癖になって、得意なことの一つぐらいにはなりまっせ」とゆうことやろな。
ええ例がイチローや。小学生のころから、1日も休まず(正月も)、バッティングセンターに通うていたんやて(よう金続いたなあ、親が)。
それなら、ぼくにも見込みがある。4時30分に起きて、頭の体操をしてから、体の体操としてジョギング、帰ってきてから、また頭の体操をずっと続けている。それから、毎日、童話を一つ以上考えることにしている。
子供のときから三日坊主の典型やったけど、50ぐらいから、決めたことをせんかったら気持ち悪くなった。
「自分自身の効果性がわかる」か。もうちょっとましな訳はないのかと思うけど、このアメリカのおっさっはええことをゆう。
思いだした。坊さんも、この種の本を書いているけど、「朝早く起きるものは自分を大事にすることのである」と書いていたな(坊さんが寝坊していたら商売にならんやろ)。
渡辺和子とゆうシスターの「置かれた場所で咲きなさい」もよう売れているらしいな。ネット広告で、本の目次を見るだけでも涙が止まらなくなるわ。
「ぼくは根っこと根性が腐っているけど大丈夫やろか」と聞きたいけど、「本をよく読んだらわかります」とゆわれると困る。そんな本は、広告を見るだけで、買わへんからな。
ぼくも、お返しにゆうとこ。
「食べたいもの、したいものを、食べたり、したりすることよりも、我慢したほうが喜びが大きい」はどうや。
ちょっとMっぽいけど、スーパーなんかで、異常に肥えている人間やその家族を見て、思いついた(ああゆう人間は精神的に何かあるのやろ)。
この格言は、車の運転にも通用するで。昔、「高級外車」ちゅうもんに乗っているときは、むかついたら、追いかけまわしていたけど、最近は、60キロしか出ない車に乗っているから、抜かれても、あおられても我慢や。
すると、ゴールド免許になるし、更新に行っても証紙が安いし、免許の等級が上がって自動車保険が安くつくようになった。
調子に乗ってもう一つ。
「死んでもおもろないで。極楽は退屈なだけやし、地獄は、何やかやゆわれたり、熱いとこに入れられたりしてストレスがたまる。生きていたら逆転があるかもね」これも、いつか自分で証明したる。