世間の目
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「世間の目」
前回、賃貸マンションがあるせいか、こんな片田舎でも、多少人の出入りがあるので、店にすわって、前を通る人を見ているとおもろいとゆうた。
山下清そっくりの格好で、おにぎりではなく、顔の前に本を開いて歩く30代の男がいることもゆうた(顔を隠すためやろと思うけど、ほんまに読んでいたら吐きそうになるで)。
また、年がら年中、フードをかぶって、タバコを吸いながら、自転車で通るねーちゃんもいる。
二人とも対人恐怖症などとゆわれているかもしらんけど、毎日見ていると、なんやかわいそうに思えてくる。
ある認知症のおばあさんが、送迎バスの中で、うちのスタッフに、「ねーちゃん、見てみ。あの人、恐い顔をしているやろ。あれが人間の本性やで」と、横断歩道を渡っている人を指さしてゆうたことがあるそうや。
確かに、ぼくらも車の間を一人で進むときは、多少意識するな(レッドカーペットを進む俳優は、見られることに恍惚感があるのやろけど)。
また、一人でニコニコしている人を見ると気色悪いが、あれも、ニコニコすることで自分の心を隠す心理があるんやて。
本で顔を隠したり、タバコを吸ってないと外に出られないほどでなくても、みんな玄関を出るときは、それぞれの鎧を身につけているのかもしれん(女の化粧もそうやろな)。
とにかく、どこでも気軽に自分を出すことが、一番大事なことやとわかっているけど、ぎこちなくなるもんや。
スポーツでも、緊張する性質(たち)で、成功でけんかった選手が多い(ジャンボ尾崎も、しびれて、ウイニングパットを3回もやりなおしたことがあるやろ)。
今年生誕100年とゆうことで話題になっている太宰治は、一見好き勝手な生き方をしてきたように見える。
そりゃそうやろ。最後は、健気な奥さんが待っている自宅の近くで、女といっしょの姿で多摩川から引きあげられるのやから(最後を見送ったのが、マクドの藤田田や)。
せやけど、ほんまに好き勝手にしているのやったら、38で自殺せえへんような気がする。
太宰は、昔から、若いもんにとって「はしか」のような作家やった。
子供は、どこかの道の先を見て、このまままっすぐ行ったらどこへいくのやろかと思うもんやけど、太宰は、ほんまにまっすぐ行ったから、恐いもん見たさで、太宰の小説を読むんや。
ぼくは、太宰は閉所恐怖症やと思う。狭い場所などの物理的なもんではなく、気分のもんやけど。
ちまちました平和な家庭などは息苦しくてたまらんのや(せやから、心中したときも、奥さんに、「あなたが一番好きでした」などと手紙を出した)。
ここさえ出たら気が休まるように思えるから、タバコ屋の娘に、「キスしてくれたら、結婚してやるぞ」などと、小説の主人公にゆわせる。
高校生のときから、何回も自殺を試みているのは、どこへ行ったらええかわからんようになったからやないか。
自殺をともかく、ぼくらは、途中であきらめけるけど、太宰は、世間の目を気にせんと生きたんやな(相当クスリをやっていたようやけど)。
「子より親が大事」ゆう言葉も、勝手な言い分のようなけど、親も、世間の目を気にせんと生きろと解釈でけんこともないけど。
ちょっと待ってな。誰か来た。
今な、新聞屋が来て、前に集金にきていたもんが、集金した金を持ちにげした。ついては領収証を見せてほしいやて。探すと、「100均」で買うたような領収証が混じっている。
あの若いやつか。スクラップを忘れた新聞や、新聞社発行のドライブマップをすぐに届けてくれた。
世間話もようした。どうしたんやろ。そんなことで、顔を隠さんとあかんとゆうのもつまらん。
これから、世間の目の前で自由に動いて人生を作っていかんとあかんのに。