再説教

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「再説教」
旨加棒喰界(うまかぼう くうかい)じゃ。先日は失礼した。
我ながら興奮して頭の血管が切れたようで、声も出ず、体も動かせないという状態が続いておった。
運ばれた病院のベッドで、これが年貢の納めどきかと観念して、今までの人生を振りかえっておった。
あの日、この日のことが走馬灯のように出てきた。それを追っていると、目が回って、血管がつながったようじゃ。
これも、わしの悟りを皆の衆に伝えるようにという仏のお導きだろうと思っておる。
まっこと、あの時は、わしのオンスじゃった・・・・・また、しょうもないことをゆう坊主じゃという空気が満ちてきたな。
えらいことをゆうた。心が重い。そうじゃった、心にあるものをどう取りのぞくかを話しておった。
「三無境」のことじゃな。とにかく、心を無にすることじゃ。ほしいものも、気になることも、とりあえず忘れる。そうすれば、心が軽くなって、生きる勇気がわいてくる。
それは、現実から逃げることではない。借金取りは必ず来る。重い病(やまい)なら、知らぬうちに治ることは少ないであろう。しかし、毎日、金の工面や病のことを考えていてはつまらぬ。一度それを忘れるのじゃ。そうすれば、今後どう支払うか、どう病と対峙するかがわかるようになる。
また、あいつがむかつくことをゆうた、こいつはわしよりいいものをもっているなどということも、しばらく忘れることじゃ(それでも、それらが心に留まっているのなら、自分の心はこの程度かと自覚するのじゃ)。
劣等感も(なかなかできぬことじゃが優越感も)一度忘れることじゃ。それらは、他人から見たら、こうではないかということであって、自分の目では見ていないものなのじゃ。
今回の地震は、1000年に1度といわれる地震頻発期の始まりだと警告する学者もいる。
今度、100年、200年の間、大地震、津波、噴火が続くというのじゃ。
また、地球的規模となった経済も、アメリカが風邪をひいたら、世界が肺炎になるという時代じゃ。
今後、大勢の人が、どうにもならない不幸をもつことが予想される。
鴨長明のように、世の無常を嘆くだけでは前に進めないのじゃ。今こそ、心を軽くする「三無境」を我が物にする修行をはじめるのじゃ。
それを邪魔するのは、嫉妬深い、あるいは、根に持つ性格じゃ。それは悪の性格であるからにして、その性格を持つものは悪人である。
逆に、明るく、さっぱりしていると自他共に思っていても、心のどこかに、どろどろしたものを持っていることもある。善の性格の者が苦しむのは、そのためじゃ。
「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」という。
悪人は、自分の悪の性格を自覚して三無境を、善人も、まあ、そう言わずに三無境を修行すれば、自分の人生を全うすることができるというものじゃ(他人の教義をパクるのは、昔から誰でもやっているもんね~)。
しかしながら、三無境の修行をしすぎて、自分そのものを無と考えて、与えられた命を粗末にする者がいるのは困ったものじゃ。
わしの悟りは奥深い(わしでも迷ってしまうほどじゃ)。もっと説かねばならぬ(アンケートが来たら、「もっと聞きたい」に丸をつけるように)。
わしも、「SAY少々納言」のように、ムーズの準レギュラーになりたいと願っておるが、まずは忘れて、ビールでも飲んで昼寝をするか。

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