老婆
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(77)
「老婆」
旅人は目の前にある山を見上げました。「あれが鷹山か。先ほどまでは背中から見ていたからそうは見えなかったが、横からは確かに鷹が岩に止まって獲物を狙っているように見える。
あれを越せば都に出る。しかし、黒い雲が近づいてきている。速足なら、夕刻には都に着くじゃろが、どこかで雨宿りをしたら予定が狂う。
無理をして風邪でも引いたら事じゃ。薬売りが風邪を引いたとなったら、商売に響く。
ええい、とにかく行けるところまで行こう」
薬の行商人は、少し早足で山を登りはじめました。
ところが、黒い雲は急速に近づき、雷まで鳴りはじめたと思うと、一気に大粒の雨が叩きつけてきました。
行商人は、心臓が早鐘のように打つのもかまわず、向こうに見える大きな木をめざして走りました。
ようやくそこに着いて倒れこみました。息が少し楽になってきたとき、「しばらくここにいれば雨は止むぞ。山の天気は変わりやすいからな」という声がしました。
見上げると、一人の老婆がこちらを見ています。
行商人は驚いて、「おばあさんも旅の途中ですかな」と聞きました。
「いや、わしは冬支度の薪を集めに山に来ておる。秋は秋で忙しいことじゃ」と平然と答えました。「そうら、小降りになってきたぞ」
行商人は自分のことを名乗り、腹下しの薬や傷薬を渡しました。
「これはありがたいことじゃ。しかし、日が出ているときは簡単じゃが、夜に鷹山を越えるのはちと無理じゃ。ここの者でも迷うことがあるからな」
行商人は、雲が流れ、夕焼けがはじまった様子を見ていたとき、向かう方向の右手に一条の煙が出ているのに気がつきました。
「あそこに家があるのか。もし暗くなったら、庇(ひさし)でも借りて夜が明けるのも待とうかいの」と言いました。
老婆はあわてて、「そ、それはやめときなされ。まだ狐につままれたほうがよい」
「人が住んでいるようじゃが」
「人というか。若いときは、かぐや姫のように、都からも嫁の貰い手が大勢詰めかけたそじゃが、今は・・・。うわさでしか知らないが」どうも煮えきりません。
とにかく急ぐことを決めた行商人は、「わかった。そこには寄らず、どこか木の下ででも休むことにしようかいの」と言って、二人は別れました。
山越えは、順調だったのですが、上に行くにつれ、山道に小さな石、大きな石が混じってきて、暗くなってきたので、何度も躓(つまず)くようになりました。やがて、膝が痛くなり歩けなくなってしまいました。
「もう坂道は無理じゃ。そうじゃ、煙の上がっていたのはこのあたりじゃったか。横なら、杖があれば、少しは進める」
行商人は、また降りはじめた冷たい雨の中を、枝で作った杖を頼りに、痛い足を引きずながら、ふうふう言いながら進みました。
しかし、どうもわかりません。「家ではなかったのか。それを聞いていなかったな」と、痛さのあまり屈みこんでは後悔しました。
ようやく、小さな屋根のようなものにたどりつきました。中を伺うと、少し火のようなものが感じられます。
「もうし。誰かおられますか。旅の者です」旅人は老婆から聞いた話をすっかり忘れて、声をかけました。しかし、返事はありません。
別に中に入れてくれというのじゃないからかまわないだろうと考えて、玄関の障子を開けて、「もうしも。一晩庇をお借りしますでの。山道で足を痛め、雨も降っておりますんで」
そう言って、すぐに障子を閉めようとしたのですが、囲炉裏の横に何かがうずくまっているように見えます。
もし急病なら助けなくてはいけないと、そのまま囲炉裏に近づき、「どこか具合が悪いので」と横顔を見たとき、あっとのけぞりました。この世のものとは思えないほど恐ろしい顔でした。
炭は消えかかっていましたが、顔がぼんやりと見えたのです。行商人は土間で腰を抜かしてしまいました。
やがて、「せっかく寝ておったのに、起こしやがって。わしの顔がそれほど恐ろしいか」老婆の声が聞こえました。
「いや、そんなことはありません。火傷でもされたのかと心配しただけじゃ。ちょうど薬をもっておる」行商人はまだ心臓が激しく動いています。
「薬などいらぬ。これがあればいい」老婆はそう言うと、「すりこぎ」のようなもので、自分の顔を叩きはじめました。
「待て、待て」行商人は這うようにして老婆に近づき、「すりこぎ」を取りあげました。
それから、血をふき,軟膏を塗りました。
「何があったか知らないが、自分を傷つけて何になる」と大きな声で叱りました。
興奮しているためか熱もあり、その晩は、急いでいることも忘れ、懸命に看病しました。
翌日、体を見ると、顔だけじゃなくて、全身、「すりこぎ」や火箸の跡がありました。目にも火箸を当てているようで、両目ともお岩のようになっていました。
老婆は、少しおちついてきて、聞けば話をするようになりました。
この世のものとは思えないほど美しかったのに年とともに衰えていくのが許せなかった老婆は、それなら、今度は、醜さに美しさを見ようとした挙句、自分を打擲(ちょうちゃく)したようです。
行商人は、人の一生は山のようなものであることを言い、都で商いをしてから、もう一度ここに来ることを約束しました。